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地方自治改革のヒント~『秋田よ変われ』より~ その1

■天井知らずの東京オリンピック開催費の問題■
小池百合子都知事が都政改革の柱の一つに据えた「五輪予算削減」は、ボートとカヌー・スプリント競技など3会場の移転が不発に終わり、「頭の黒い鼠一匹」に終わりそうだが、それでも数百億円は削減できそうだという。しかし削減できたといっても総額は2兆円とも言われている。

そこでついつい比較したくなるのが2001年8月に秋田県で開催された「ワールドゲームズ秋田大会」。オリンピックの公式競技に入れなかった競技団体が世界各都市で4年に一度開催してるもので「第2のオリンピック」と呼ばれるれっきとした国際大会である。秋田大会には93の国・地域が参加した。3年前に長野県で開かれた冬季オリンピックの参加72ヶ国・地域とほぼ同じ規模であり、一概にマイナー競技と切り捨てるのは早計だ。

その開催費用は、結論から言うとわずか21億円だった。ボート、カヌー・スプリント競技会場となる「海の森水上競技場」は一部仮設にして費用を削減するとしても約300億円はかかるそうだ。この会場一つで「ワールドゲームズ秋田大会」を15回開催できるのだ。何故秋田県でこんな奇跡のようなことができたのか。『秋田よ変われ』からその謎を解明してみる。


 

第1回大会は米国のサンタクララ
 ワールドゲームズはオリンピックの公式競技に入らない12の競技団体が集まり昭和55年(1980年)に結成、翌昭和56年(1981年)米国のサンタクララで第1回大会が開催された。競技人口も少なくマイナーと見られる競技種目も多いが、ここからオリンピック種目に採り上げられるものもあり、選手の意識もレベルも高く「第二のオリンピック」と呼ばれ、4年に1度世界の各都市で開催されてきた。秋田での開催が決まったのは平成8年10月、寺田が知事になる半年前だった。知事就任直後の平成9年6月「秋田ワールドゲームズ2001組織委員会」が設立され、寺田が名誉会長に就いた。会長は秋田魁新報社の林善次郎会長が就任した。8月、フィンランドのラハティで開かれた第5回大会に寺田は林会長と共に出席、大会旗を受け取ってきた。
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県の負担は14億円
 組織委員会は立ち上がったものの、不況の最中で大会の運営金も人も集まらなかった。林会長は毎日新聞秋田版(平成13年9月3日)の「思うぞんぶん」に「(苦労したのは)やっぱりカネと人。スタッフは最初は2人だけ。カネは県と民間半分ずつの計15億円でスタートしたが数字を積み上げてみたらとても無理だと。さてとなったところで知事が、国際大会なんだから思い切ってやろう、私に任せてくれということで、県がさらに8億円出してくれた」と裏話を披露し、寺田に感謝している。

 総額15億円を県と民間の折半で用意し、動き出した運営費用について、改めて県が試算し直したところ25億5000万円に膨れ上がった。式典関係を切り詰め運営本部を県庁内に移し経費削減に努め1億円を削り、費用は総額24億円と12月定例県議会に報告。財政事情の厳しい市町村と民間の負担は据え置く一方、県の負担は14億7200万円に決定した。

 寺田は林組織委員会会長との約束を実行に移し、更に平成12年1月1日付で企画調整部長の羽川正道を組織委員会の専務理事に派遣する人事を発令したほか、県職員70人を送り込んだ。
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観客は文化イベントも合わせて30万人
 8月16日~26日までの11日間は、競技は勿論、大会のもう一つの主要な目的である市民参加型の文化イベントが繰り広げられ、県内はワールドゲームズ一色に染まった。秋田市内に設けられたウエルカムセンターでは海外の選手と県民が茶道や生け花などで交流し賑わった。4千人のボランティアや、この大会に合わせて夏休みが延ばされた多くの小中学生も参加し盛り上げた。

 心配されたチケットの販売は目標の1億1,500万円を達成。26万人が目標の観客は文化イベントを入れ30万人に上り、大会の規模も動員数も過去最高を記録した。観客数が一番多かったのは大潟村で開催されたパラシューティングで約2万人、次いで水上スキーが9000人、コースは大潟村の排水路を利用したものだったが選手からは「こんな素晴らしいコースは見たことがない」と絶賛された。かかった費用は21億1000万円と、23億5000万円の予算内に収まり、残余金2億円は「あきたワールドゲームズ基金」としてスポーツ振興に役立てることになった。

 ワールドゲームズ秋田大会は26日にフィナーレを迎え、秋田の「熱い夏」は終わった。翌日の記者会見で寺田は「これだけ燃え上がったというか、感動を体験出来た11日間でした。この大会は県民にとって長く語り継がれることだと思います」と感動冷めやらぬといった語り口だった。既存の施設だけで開催したローコスト主義も、この後の平成19年に秋田で開催される国体を「日本一質素な国体」にしたい寺田にとっては「良い勉強になった。国体を開催した県は財政的に破綻状態になるとか、いろいろ話題になっているが、こういうことも出来ることを経験出来た」と自信を深められた大会だった。

 9月定例県議会で寺田は、大会成功の原動力は小・中学生や高校生を含めた多くのボランティアのフレンドリーな活動だったと感謝し「この大会は秋田に暮らす人々が、郷土の良さを再発見するまたとない機会となった。私達が祖先から引き継いできた伝統文化や秋田の大地・自然、そして県民の温かいもてなしの心は他に誇り得るかけがいのない財産であり、世代を超えて守り伝えていきたい」と総括した。
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 この大会で取り分け強く印象に残ったのが水上スキー競技だった。世界を舞台に闘ってきたアスリートたちが、八郎潟干拓で残された排水路を「こんな素晴らしいコースは見たことはない」と称賛したことだった。東京オリンピック・パラリンピックではアスリートファーストの名の下に競技会場が次々に作られる。レガシー(遺産)というそうだ。あとには多額な維持費や借金が次の世代に残される。寺田知事はいわゆる箱物のレガシーは何一つ作らなかった。代わりにアスリートや県民の心の中にレガシーを残した。既存の施設を活用した県民挙げてのボランティアで大会を盛り上げた国際大会に「頭の黒いネズミ」が忍び寄る利権は全くなかった。

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