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電通女子社員の自殺と「遊・学3000」~『秋田よ変われ』より~その3

電通の新入女性社員が違法残業を強いられ過労自殺した問題は社会に大きな衝撃を与えた。厚生労働省は強制捜査に乗り出し、会社と幹部社員を労働基準法違反容疑で書類送検した。電通の社長は引責辞任を表明しているが、塩崎厚生労働相は「社長一人の辞任で済む話ではない。企業も文化を変える努力をしてもらいたい」と全容解明に手を緩めていない。亡くなった女子社員の母親は報道各社に手記を寄せ「日本の働く人全ての人の意識が変わってほしい」と訴えている(毎日新聞2016年12月25日朝刊)。問われているのは正にそのことなのだ。

国は2014年9月に長時間労働削減推進本部を立ち上げ、過重労働の撲滅や休暇取得の促進に取り組んでいるが、秋田県ではそれより18年も前に県の総合計画の柱に「時と豊かに暮らす」ことを据えた。

1年間は8760時間。睡眠や食事などの基礎的な時間と学業や仕事の時間を除き、個人が自由に使える3000時間を使って人生を充実させることによって、新しい価値観や可能性が生まれてくると考えたのだ。提案した当時ははほとんど理解されなかったが、今なら分かり合えると思う。「秋田よ変われ」から、豊かさの本質を探ってみる。


 

■「遊・学3000」あきた21総合計画を策定
30代の政策研究プロジェクトチーム

 コンピューターの2000年問題も無事過ぎ去り迎えた平成12年。寺田にとって大きな課題があった。県政の指針となる総合計画の策定である。前知事時代の平成8年3月に策定された秋田県新総合発展計画後期計画が平成12年度で終了するため、就任1年目の11月に見直し作業に着手していた。

 新しい計画には若手の考えを反映させようと30代の県職員の中から公募で26人を選び、県の人口が25万人も減少し高齢化率が33%になると予測されている2025年を見据えた政策研究プロジェクトチームを立ち上げた。

 平成10年6月定例県議会で、社民党の東海林建議員の「2年目を迎える知事の寺田カラーはどういうものか」との質問に「21世紀の秋田の姿を展望するビジョンについて検討を進めている。できるだけ早い時期に示したい」と策定作業に入っていること明らかにした。

 その寺田カラーは「遊・学3000」と表現される。突拍子もない不可解さから「狐につままれる」ような騒動が1年近く続くことになる。「遊・学3000」とは、1年は8760時間のうち2000時間は働き、寝食など基礎的な生活が1日10時間として3000時間は残る。その自由時間に焦点をあて、時間を個々人の大切な資源として捉え「心豊かな秋田を作ろう」という発想であり、「日本が、経済のグローバル化や環境重視社会へ転換していこうとしている時、変化に的確に対応していく上で有効な視点であり、秋田の未来を切り開く戦略的な視点である」というのが構想の原点であった。

 「あきた21総合計画」の策定に先駆けた平成11年5月、秋田の目指す方向を取りまとめた「時と豊かに暮らす秋田~新世紀『遊・学3000』ビジョン~」を発表した。

 当時の日本経済はバブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれた低迷の真っ只中で、有効求人倍率は0.4%台をさまよい求職難が続いていた。そんなご時世に「遊ぶ」とは何事ぞ「不適切だ」という反発が野党の自民党だけでなく「戦略なら産業構造の高度化だろう」と与党からも批判の声が上がった。

 寺田は「遊・学は自然や人との交流を促し、創造性に富んだ発想を持つ人材を育成し、新たな商品や技術の開発に結びつく。必要は発明の母。遊・学3000は産業の高度化に寄与し、経済の活性化を促進する役割を果たす」(平成11年6月定例県議会)と答弁し、粘り強く理解を求めた。

 しかしあまりに突飛な構想に周囲の理解は進まず、平成11年7月26日の記者会見では「(遊・学3000を)考え直す気はあるか」との質問さえ出た。寺田にとっては「賛否両論があるのが当然。議論を喚起するための『モグラたたきのモグラ』でもあった。これだけ議論されることは良いことだ」と、喜んでさえいた
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「あきた21総合計画」スタート
 9月に「あきた21総合計画」の骨子案がまとまり、年が明けた平成12年2月9日の秋田県総合開発審議会で承認された。「時と豊かに暮らす秋田をめざして」を掲げた新世紀の秋田づくりの指針となる「あきた21総合計画」が出来上がった。

 「遊・学3000」は「社会の持続的発展」など三つの基本的な視点を補完する秋田の可能性を拓く新たな視点と位置づけられた。計画は平成32年(2020年)ごろを展望した上で、平成12年度からスタートし、平成22年(2010年)までの11年間の政策、施策の方向を「基本構想」に、平成14年度(2002年)までの3年間の具体的な事業を「前期実施計画」として示し、5つの目標が掲げられた。

「安全・安心に楽しく暮らす秋田」
「チャレンジ精神豊かな人材が活躍する秋田」
「環境と共に生きる秋田」
「産業が力強く前進する秋田」
「地域が活発に交流・連携する秋田」

 そして、これから3年間で重点的に取り組む4つの政策が決まった。一つは平成32年には人口100万人を割る心配がある人口減少の抑制に向けた「少子・高齢化への対応」、二つ目は「雇用の確保と労働生産性の向上」、三つ目が「遊・学3000自由時間の活動等による優れた人材の育成」、最後が「経済活動や日常生活を支える基盤の整備」である。更に、計画は皆で進めようと7つの「夢パートナーシッププラン」が提案された。

 次が最も寺田らしいユニークな発想で、目標を達成するために21の政策を決め、各政策の下に70の施策を置き、186項目の具体的な数値目標を設定し、目標の達成度を毎年点検、結果を公表するとしたことだ。

 例えば「安全・安心に楽しく暮らす秋田」の基本目標に「みんなが安心して活躍できる健康長寿社会の実現」を政策として掲げ、その一つの施策に「生涯を通じた健康づくりの推進」があって、施策の目標は「生活習慣病死亡率」を平成11年度の人口10万人あたり598.2から、12年度は592、13年度は589、14年度は581と改善し、最終目標年度の22年度は510を達成しようというものだ。施策が実現していく姿を一目で分かる仕組みであった
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寺田典城氏が前知事から引き継いだ県の新総合発展計画は、「ハコモノ」をどれだけ作るかの計画だった。これは何も秋田県だけではない。田中角栄元首相の「日本列島改造論」以来、国も地方も長期計画といえば「ものづくり」計画だった。寺田知事は「行政は一貫した継続性が求められる」として、前知事から受け継いだ「ハコモノ」は完成させたが、自身が作ったハコモノは「中高一貫校」ぐらいで、ソフトの計画に徹した。「秋田21総合計画」策定に当たって、考えに考え抜いた結果たどり着いたのが「時と豊かに暮らす秋田」だった。

当時の県議会の反発は凄まじかった。「この不景気に遊びなどとんでもない」「ふざけている」と散々な目に遭っている。20世紀最後となる平成12年の仕事納めの記者会見では、一年を振り返った最も印象深い出来事として、大方の予想の国際系大学ではなく「あきた21総合計画」を挙げ、「立案し、計画して、結論を出すのに責任を感じた。一番エネルギーを注いだ」と語った。寺田氏は後に自身のブログ(2014.10.24)でも「平成不況の真っ只中では、自由時間を活用し、遊んで、学んで、人生を充実させようと言っても、『ふざけるな』と言われるのは仕方がないことだったかもしれない」と述懐している。 20年近くの歳月を要して、ようやく理解されつつあるところまで来た。

電通女子社員の訴えがきっかけとなって人々の意識が変わり、新しい価値観が生まれ、自分の時間を上手に活用し、ひとりひとりの人生を充実させることは、寺田氏が語るように「文化向上にもつながり、ひいては日本の活力の源にもなる」と共感する。

※次回は1月24日に公開いたします。

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