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しがらみがないからこその変革 ~『秋田よ変われ』より・その6~

「秋田よ変われ」著者の寺田健一です。去年の10月、東京の市ヶ谷で開かれた故郷の中学校の同窓会で、勝手に「姉」と尊敬している方に久しぶりに再開し拙書を贈呈しました。法曹界に進んだその方は秋田地方裁判所の所長を務めたこともあり秋田への思いは強く、タイトルを目にした途端、辺りをはばかることなく「そう、そうなのよ。秋田は変わらなければ」と声を高め「今一番秋田に求められていることは変わること」だと力を込めたのです。
寺田知事の12年間を俯瞰するとまさしく変化への挑戦でした。取材の最後に当時、参議院議員となっていた寺田氏に長時間のインタビューをお願いしました。言葉の端々に「秋田を変えなければ」の意気込みが伝わってきました。このインタビューは「終章 エピローグ これが真相だ」にまとめました。寺田氏は質問に率直に答えてくれました。この中から「秋田よ変われ」の挑戦をいくつか抜き出し紹介します。



■県木住の清算の真相

 ― 初の選挙中にも、県木住の問題が出て、既に倒産状態だったと思うのですが、そこで知りたいのが、当時の佐々木知事と池田副知事は、潰れそうだと分かった上で、秋田銀行とか農林中金とかに頼んで融資させ、結局みんな焦げついて終わっているんですけど、なぜ知事があんなことまでしなければならなかったのかと。
寺田 行政体というのは、一旦そういうことに手を付けてしまうと、倒産させられないんですよ。そういう行政文化なんだよな。行政体が出資しているところで破産させられたところってありますか。あんまりないでしょう。そのほかに、県のOBも顧問をやってたくさんの給料をもらったりもしているしね。県木住という会社は放漫経営だったから、東京に行けば銀座で飲み食いさせたり、そういうやり方をしておったんです。それにバブルが破裂して、デフレになって不動産が売れなくなった。
 ― 新会社を助けるために基金を創設している。そんなことまでやるんですか。
寺田 どんな手でも使うでしょう、苦しくなれば。林務部の連中なんか書類を持ってこないんだから。
 ― どういう意味ですか。
寺田 隠しちゃって。私は50歳まで企業経営やっておったから、貸借対照表を見ればすぐ分かることだから。林務部長は国から来ている人なんで「お前は早く国に帰れ」って(笑)。林務部も廃止にしたでしょう。農林水産部ということになったんだけれど。いや、でもその部長も気の毒なことで、前の人のを引き継いだだけで。役所っていうのは、2年とか3年でみんな部署を変わっていくから、みんな責任が無くなっちゃうんだよな。それで曖昧模糊にしてしまう。だけども、簡単な言い方すると、まず被害者、つまり住宅を買って、地盤沈下して、家が傾いたとか、そういう人たちに対しては、やはりもう、住宅を買うっていうことは、一生掛かっている仕事でしょう。その人の一生を無くすようなことなんだよな。秋田県自体の信用回復のためにも、真剣に取り組むことが必要だった。だから恐れ入ったのは、傾いた住宅を修復するために、ボランティアで大工さんだとか皆が現地に赴いて、延べ何百人だか忘れたけれども、それをやってくれたのがね。やっぱり行政体は、そういう凄いところを見習わなければならない。自分たちは高い給料をもらっていて、のほほんとしてこういう会社を作る、お前たちが一番良くないんだ。それから秋田銀行も北都銀行もそれぞれ50~60億円ずつ欠損処理したんだけれども、それはやっぱり貸主責任だと。いくら県庁から言われても「出せないものは出せない」と言えば良いんだよ。両頭取にもはっきりそう言いました。県木材の社長を呼んですぐ破産宣告させて、管財人を置いてやったけど、ほとんど何も金は無かった。まぁ、こういう強烈な知事が出てくるとは思わなかっただろうね。それはやっぱり私はしがらみが無いからでしょう。

■畜産開発公社問題の真相
 ― 畜産開発公社の乱脈経営を一目で看破したようですが。
寺田 畜産開発公社というのは何十年もの歴史のあるものでね。帳簿操作をしていかなければならない人達が、ずっと何十年も決算を粉飾して正常な形に見せていた労力、エネルギーというか、だったらもっと良い牛を作って、そっちの方に力を入れれば良かったんだよ。畜産開発公社の人たちに「嘘をつく苦労は止めなさい、卒業しなさい」と。業務報告書を一読したら、減価償却をほとんどしていない。借り入れが30数億円もある。「補助金もこれだけ出しながら、何故そんなにあるの」ということで、やっぱり30億、40億の欠損があるというのをすぐに見極めたんでね、苦労して。皆に文句を言われたりしたけど、最終的に公金を30数億円出した。知事に就任した年のお盆に畜産開発公社から美味しい肉が届いたんだ。「何これ不思議だなぁ、知事だからかな」と思っていたら、議員やらいろんなところにステーキが届いているんだよな。私も一回はご馳走になったのは事実だけれども「これ、もらってられないよなぁ。こういうことは良くない、もう止めろ」と言って、以後は止めさせたんだよな。肉は美味しかったけど(笑)。うちには御中元・お歳暮禁止令みたいなのを出しておったからね。それから旅行に行く時の餞別だとかも禁止。皆そういうものを食糧費を使ってやっておった。悪しき慣習ですよ。ある面では組織的な犯罪ですね。公金だという概念が薄かったんだな。

■能代産廃対応の真相
 ― よく思い切って能代産廃を清算しましたね。
寺田 昭和57年ごろの産廃法というのは、環境問題について欠陥法なんですよ。その法の下で管理型の廃棄場、ゴムを張ったり、防水して、排水は浄化して出すとかそこまではやっていたが、廃棄物を埋めること自体はハチャメチャで、違法なモノまで埋めているということなんです。高台みたいな所に許可すること自体、行政の怠慢なのか、何かの政治の圧力があったのか分からないけど、まずそれを県が許可したことがおかしい。そして業者はコンプライアンスを守らずに、業者として環境に対する在り方がラフだった。放漫経営で金も使っていた、金をどこに使うんですかというと、政治とかに流れるしかないと思うんですよね。あとは贅沢三昧するとか。処分場が満杯になるとお金は入ってこなくなる。産業廃棄物場の新たな拡充を認めれば、棄てることが出来るから、またお金が入ってくる。そしてまた違法なことをやる。24時間張りついてる訳にはいかないし。そういうことでまた新たな産廃を作ろうと、許可しようとしておったんです。要件が合えば許可しなければならない。ところが法律の中に「不健全経営には許可しない」とあるので、ずっと調べて担当を呼んだ。「これは健全経営なの、この決算書で」と。そうしたら許可するサイドの担当者が頭を抱えてしまった。私は「許可しない」と。許可しないということはこの会社は倒産することが予測出来る訳だ。もう処分場が満杯で新たな収入源が無いんだから。そうなって来るとどうするのと言うと、シミュレーションを組んで、倒産した場合はすぐに対応出来るようにということで、生活環境部と建設交通部など各部が手を取り合って体制を作って、倒産となった次の日からドンとやった。そこの処理場から排水がそのまま流れれば、やがては大潟村まで行っちゃうんだよ。
 ― あそこで許可していたら、また同じことの繰り返しで、修復に40数億円かかったようですが、それでは納まらなかった訳ですか。
寺田 瀬戸内海の不法投棄で500億円だとか、青森と岩手の県境で400~500億円かかったとかね。私の方では早く手を付けたから40~50億円で済んだが、やっぱり100億円とかかかったんじゃないの。それは税金なんだよね。それで3県合同で環境税というのを取るようにして、それからは税で年間3億円ぐらいもらっているから、何とかなっている。

■情報公開にこだわった真相
 ― 何であそこまで情報公開に執着したのですか。
寺田 横手市長だった時、平成7年に全国に先駆けて情報公開条例を作ったんです。市役所の連中は、情報公開されるのを反対するんですよ。職員皆、情報が漏れると。私は言ったんです「これはあなた方の身を守るためなんですよ。あなた方が適正な仕事をしておれば、これによって助かるんだよ。要らない圧力や、要らない口利きで、あなた方が不正に巻き込まれなくて済むよ。だから情報は公開すべきだ」と。行政というのは、簡単な言い方をすると、税金で賄われているんだから、プライバシーとかを除けば、基本的には情報公開すべきなんです。今はそうなっているでしょう。あとはオン・ザ・テーブルだけだ。

■大王製紙に担保金を取り上げられた真相
 ― 大王製紙進出断念の真の理由は何だったと見ますか。
寺田 経済的進出断念ですよ。不況になって、これは仕方がないんですよ、ビジネスの社会では。1990年(平成2年)まではバブルだったし、進出すると言っていたころはまだ成長が見込まれた。水もあり、船の係留地まで用意するとのことだから、製紙会社にとっては最高の場所なんです。そして水の値段が安ければ、と。製紙会社は水を使うから。ところが、水の補助金が不適正な支出ということで裁判に負けたということなんでね。当初は大王さんも進出する気はあったんだから。人を100人だが採用したりした。簡単にいうと、バブルが崩壊して、倒産だとか何だかんだで、平成9年は私が知事になった時だけれども、経済は不況で一番ダメなころだった。ところが前の県政は用水や工場用地造成に何百億円も掛けているいる。全部で300~400億円掛かっているんですよ。それで「何とか顔を立ててくれ、進出しない場合は違約金を払ってくれ」という話になって、55億円だか預かった形だけ取った。公証人役場に行って「直ちに強制執行に服する」との供述証書を作成しておけば何の問題も起きなかった。白地手形でもよかった。そうしておれば、あの金は一発でもらえた。昔から行政というのは繕いの行政なんですよ。私の代になってからは、繕いはしない、まやかしは絶対にしていない。

■真木、長木ダム建設中止の真相
 ― 長木ダム建設中止を決断した切っ掛けは何だったのですか。
寺田 知事面談日に「長木ダムを考える市民連絡会」の代表の方が来て「現地を見てくれ」と頼まれた。「いいよ」ということで、見に行った。綺麗な渓流があったね。ダムを造るというと、環境に対する影響は間違いなく避けられないんで、環境調査をする。貴重なクマタカが生息しているということもあるんでね。簡単に言うと、どうしてここに造らなきゃならないの、これ造らなかったらどうなるんですか、ということなんです。例えば「水害を未然に防止する」と言うけれど、何ミリの雨が降ったらどこまで影響するのかと言ったら、これ(被害予測)もまやかしなんですね。鉛筆舐めて水害地域を過剰に見積もっていた。それで費用対効果で、あなた方(ダム建設推進派)の言っていることと違うんでないの、となった。今まで調査してきたんだからと言うんだけれど、そんなものは止めなさいと。ダム推進派は「選挙に影響します」なんて言うけれど、選挙なんて関係ないだろう、それって。作為的なもので造るのはダメだということなんだな。それが(県北地域では)大館市長に意地悪したんだろうという見方なんだな。別に意地悪したつもりも何も無い。税金を突っ込んで300億円とか掛ける価値が無い。3~40億円で堤防を造って(水害防止が)出来たんだ。
 ― 真木ダムは。
寺田 あの美しい渓谷を無くしたくなかった。自然派なんだな、本心は。
 ― 工事費の削減で「希代のコストカッター」とも呼ばれたようですが。
寺田 東庁舎で120億円が80億円ぐらい。国体も500億円と言われたのを300億円にした。東庁舎はデコレーションを外しただけで、ダンピングをさせた訳ではない。県庁っていうのはね、蛍光灯一本でもいちいち工作したような何十万円もする物を使う。デコレーションのついた見映えの良い物を作るのが当たり前だという感覚なんだ。税金を使っていることを分かっていない。驕りがあるわね。(任期中に)1千億円はカットした。

■政権党との闘いの真相
 ― 中央と強いパイプが無ければ地方自治はやっていけないと言われることがあります。自民党を向こうに回して12年間知事をやってきて、地方自治を損なったことはありますか。
寺田 未だに「中央とのパイプ」を言う政治家がいるが、地方が生き残るには自由な発想と、地方の成長のためにどうするか、新しい切り口・イノベーションをするには、国に縛られないことです。中央直結でないから「30人(程度)学級」や直轄事業で無料の高速道路を作るなどの発想が出来るんです。
 ― 国の予算の個所付けなどで不利益をこうむったことはありませんか。
寺田 無いね。
 ― それはなぜですか。
寺田 (予算措置を)申し込んだ時に、こちら(県)の方の理屈が通っていて合理性があれば、国は予算措置をせざるを得ない。例えば、特別養護老人ホームの待機者が全国で1万人いるとして「秋田県にだけはゼロにする」ということは出来ない。
 ― 在任中、自民党の国会議員に県の予算措置を頼んだことはありませんでしたか。
寺田 頼んだことはないけれど「これはこういう風にやりましたから」と報告したことはあります。だけど自民党の国会議員の先生方から「何も頼まないのか」と言われたことも事実です。
私は、真木ダムと長木ダムという二つのダム事業を中止しました。自民党の先生方は「なぜ止めるのか。工事費が入ればそれだけ地方が潤うだろう」と言うけれども、将来的に環境を汚染する恐れがあるし、それだけの金を掛けなくたって、河道改修等で環境保全と治水対策は出来る。だったら安い方法を選択して、税金を使わない方が良いでしょうということ。自民党の先生方は必要でないものでも何でもいいから予算を持ってきて使えば活性化すると思っている。
 ― パイプが無くても知事の仕事は出来るんですね。
寺田 やれる。よそのことは知らないが、少なくとも自分はそういうしがらみやパイプが無くても出来た。何を以て「パイプ」と言うのか分からないけれども。自民党は「中央とのパイプがある」と言いますが、要らないものが入って来るパイプなんか要らないんだ。汚水流されてもなんともならんし。

■地方分権が頓挫した真相
 ― 道州制を頓挫させたのはだれなんですか。
寺田 地方分権は小泉さんの時から引き継がれていった、安倍さんにもね。ところが政権交代となって、民主党に力が無くてやれなかった。今の政権は力はあるかも分からんけれども、利益政治だからやる気がない。これだけ借金があるのに、国会議員は金を使うこと、配分することしか考えてない。地方も要求団体になっちゃたし。財政健全化は政府の責任だと言うけれど、違うんだよ。私たちは「地方から国を変える」と権限移譲を求めた闘う知事会だったんだけど。もう一回知事をやったら「地方から国を変える」って言えるよ。
 ― 1国2制度も止まってしまった、なぜなんですか。
寺田 あれね、ある人が言ったんです「地方は金が掛かるよな」って。雪下ろし、道路の除雪、秋田だけでも何十億。だけどもそれをしなけりゃこっちに人が住んでいないよね。豪雪地帯とか離島だとか、そういう所に企業を誘致するには、法人税を半分にするとか、何か優遇措置を付けなければ行かないですよ。東京とか、名古屋とか、東北で言えば仙台とか、まあ政令都市には集中するでしょうが、あとは皆ダメになっていく。
全国一律、北海道の農業と九州の農業を同じ制度でやろうったって無理だよ。何でも「金太郎飴方式」なんだよな。日本文化だな、お上の前に気力が萎えているのか。

■子育て支援新税断念に隠された真相
 ― 子育て新税を断念した時、辞職して選挙で県民の信を問う考えはありませんでしたか。
寺田 社会が責任を持って子育てすることに対しては理解は十分にあった。ただあの当時、定率減税の廃止と医療費の増額などで県民の負担感が増しており、子育て支援に対する税を負担していただくことについては否定的な方々が7割もいたのは事実だ。内容的にも税の負担の公平性について説明し切れないところもあった。
ただ議論の最中に県議会が満場一致で子育て支援税反対の請願を採択した。それをされた以上は、門前払いで議論もさせてもらえないということになる。だったら寺田県政に対する不信任案を出してもらえる、という期待感があった。不信任案で議会を解散し、自分も辞職して一緒に選挙がやれると期待をしたけれど見通しが甘かった。ただあれから10年経つが、社会全体で子育て支援をしていくという考え方は間違っていなかった。回りの人からよく言われる「惜しかったなあ」と。


■秋田の未来

 ― 国は膨大な借金を抱え、秋田は少子高齢化が進む。どうしますか。
寺田 私が政治の社会に入った時は、国の借金は200兆円ぐらいしかなかった。1年に30兆円ぐらいずつ増えて知事になった時は500兆円、今は1000兆円を超えているでしょう。現状を維持することも不可能だ。先に見えるのは国の財政破綻。おそらく5年、10年後には間違いなく財政破綻して戦後のハイパーインフレのような混乱が来る可能性だってあり得る。ゆえにどうするかというと、100兆円を超している社会保障費についても、延命治療はしないなど、欧米並みの考え方を入れていかなければならない。2025年(平成37年)には高齢化率が3割になる。3割の中の6割が75歳以上だから、10人に2人ぐらいが後期高齢者なんですよ。インフラ整備は身の丈に合った投資だけにして、世界に通用するような人材育成をきちっとすること。やっぱり耳に痛いことを皆で話し合わなければならない時に来ている。それなのに今でも省益と既得権。それを成り立たせている口利き政治、そういう癒着構造を断ち切らないと、日本は生き残れないだろうな。そういう暗い覚悟でおります。
 ― そうなると秋田はどうしていけば良いのか。
寺田 国を頼りにするというよりも、分権して独自に走らせること。地方創生っていうのは、分権することだ。とにかく国と県、県と市町村は3割ずつぐらいはやっていることが重なっている。重複行政を解消することだ。権限を移譲して道州制に向かわなければならない。
秋田県の食料自給率は180%くらいある。何があってもおまんまは食っていけるとどっしり構えて、あとは人材育成することだ。その人方が秋田に働く場所が無ければ、県外へ行って、いい給料をもらうのも良いんじゃないの。だから人口が80万人になろうが、70万人になろうが、それはそれなりの価値観として見ていくしかない。
数でものをやる時代じゃない、内容でやる時代だ。数だったら中国やインドに全然負けてしまう。


東京都政を揺るがしている築地市場の豊洲移転問題で、決定当時の都知事だった石原慎太郎氏が3月3日日本記者クラブで記者会見した。「果たし合いに行く侍の気持ち」と勇ましかったが、「専門家でない」「部下にまかせた」と肝心なところで歯切れが悪く、ついには「行政全体の責任」と語り、蜜月関係にあった都議会にも責任があると主張した。これには市場関係者から「無責任だ」との批判の声が上がり、ジャーナリストの斎藤貴男さんは「『僕のせいじゃない、みんなのせいだ』と話す姿は滑稽で、見るに耐えなかった」(毎日新聞3月4日朝刊)と酷評していた。
首長と議会の両者が摩擦なく「まあ、まあ」と馴れ合った結果がこれだった。地方自治の最大の特色は二元代表制である。両者が地域の将来を真剣に考え激論を交わし、道筋をつけていくのが正常な姿ではないか。
寺田県政の12年間は最初の副知事選任不同意に始まり、地方振興局3局再編否決に至るまで、両者は終始対極にあった。しかし国際教養大学の創設や、こども支援総合エリア「かがやきの丘」の新設、高速道路の無料化、全国初の30人学級の実現と小・中学生の学力日本一など「県民ファースト」の政策が次々に実現していった。しがらみがないからこそ寺田氏はこれらの政策を大胆に進めることが出来た。

※次回は4月中旬の更新予定です。

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