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JR北海道の廃線問題について考える~『秋田よ変われ』より~その2

JR留萌線の留萌ー増毛間が廃線となり、俳優の高倉健が駅長を演じた映画「駅 STATION」の舞台となった終着駅である増毛駅が12月4日、95年の歴史の幕を閉じた。これは北海道の鉄道廃線大リストラの始まりである。深刻な経営難が続くJR北海道は、11月18日「単独では維持困難」と10路線13区間の廃線を打ち出し地元の市町村との協議を求めた。対象となる路線距離は同社の在来線の半分を超す。地方自治体には住民の足の確保のため、バス転換や第三セクター化などの選択が迫られる。乗客数の激減に加え多額な維持費がのしかかる赤字路線である。過疎化が進み財政悪化の市町村はどのように対応していくのか。かつての秋田県に再生のヒントがある。

30年前になるが国鉄民営化に伴い赤字路線廃止の大嵐が吹き荒れた。秋田県でも角館線や阿仁合線など3路線が廃線の危機に見舞われ、県は昭和59年に第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道株式会を設立しこれを肩代わりした。不通区間を接続した秋田内陸縦貫線は開業当初こそは100万人を超える乗客があったが、寺田知事3期目に入った平成18年には50万人にまで落ち込んでいた。県の持ち出しは3億円を超し、鉄橋などの老朽化が激しく、県や沿線市町村がこれ以上維持し続けるには限界に近かった。しかし寺田知事は「廃線」の選択はしなかった。何故か。「秋田よ変われ」秋田内陸縦貫鉄道の項より紐解いてみたい。


 

赤字ローカル線
 整理・合理化の対象として最後まで残った23法人の中で、最大の難問が秋田内陸縦貫鉄道株式会社の処置だった。同社は昭和59年10月、県と当時の沿線8町村がそれぞれ1億1600万円を出資、民間の秋田銀行、北都銀行なども6800万円を出資して資本金3億円で設立された「絵に描いたような」第三セクターである。

 国鉄民営化に伴う赤字路線として昭和61年11月に、阿仁合線・鷹巣~比立内(46.1㎞)と、角館線・角館~松葉(19.2㎞)を受け継ぎ、沿線住民の足の確保を目指した。平成元年4月に不通区間の比立内~松葉間(29㎞)を接続、鷹巣~角館の南北94.2㎞を結ぶ「秋田内陸縦貫線」が開業した。昭和9年に鷹巣~米内沢間が開通して以来、半世紀をかけた地元住民の悲願の全線開通だった。

 開業当初の平成元年は年間利用者が107万人を超え順調な滑り出しだったが、その後は毎年乗客は減り続け、平成12年度は80万人台を割って79万人にまで減少した。開業当初から赤字が続き、12年度の経常損失は3億4300万円に達した。

 赤字を減らすため数度にわたり内陸線の利用促進運動が行われ、平成14年度からは「頑張る3年間」を実施、てこ入れを図った。企画列車なども走らせ乗客増加運動を繰り広げ、観光客を増やしたが、沿線地域の急速な進過疎化やマイカーの普及により肝心の地元の利用者である定期利用客が減少し16年度の輸送人員は50万人にまで落ち込んだ。

 会社は合理化を進め平成13年度に在籍した82人の職員を16年度には67人まで減らし、人件費を5000万円切り詰めた。それでも「頑張る3年間」を締めくくる16年度の経常損失は2億7400万円に上った。内陸線の再生を図るため平成15年12月、会社や沿線市町村の住民が参加した「秋田内陸線沿線地域交通懇話会」が設立され、18年度から5年をかけた再生計画がスタートした。
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存廃の決断は平成20年9月まで
 再生に向けた最後の機会とされた再生計画は初年度から躓いた。

 平成18年度の輸送人員は前年度を1万2000人下回る50万人と、目標の66万人を大きく割った。経常損失は2億6200万円で、県の支出した補助金は2億2700万円にのぼった。補助金を毎年10%ずつ減らし、最終的には県と沿線市町村の支出する補助金を1億5000万円に削減する計画は1年目で早くも破綻した。一方で鷹巣~米内沢間は開業から80年近く経ち、施設が老朽化しており早期の安全対策工事が必要となっていた。「会社の形態や経営者を改め、一定期間試行した上で存廃を判断する」などという悠長なことをやっている暇は無くなっていた。

 寺田は平成19年に入ると何度となく現地を訪ね、列車に乗り、結論を熟考した。そこで目にしたことは「地域からうまく利用されていない」ことで、「沿線地域が鉄道の価値を見出し、住民が積極的に利用して地域振興に活用していていかない限り、この鉄道の再生は難しい」が結論だった。

 19年6月定例県議会前の6月7日の政党内協議において「1年以内を目処に内陸線の存続か廃止かの結論を出す」と表明した。本会議の第3日、東海林洋議員(いぶき)に今後の対応を問われ「引き続き(再生)達成の努力は続けるが、並行して地域の足を確保するための適切な方策を検討する。(内陸線の)存廃を含めあらゆる角度から今後の可能性を見極めるため、県職員を会社に派遣するとともに、地元自治体とも十分に協議しながら、早期に結論を出したい」と答えた。寺田の「一年以内に存廃の決断」発言は、地元の住民に大きな衝撃を与えた。

 発言から半年経った平成20年1月28日の記者会見で「知事の腹は固まったのか」と聞かれた寺田は「どうやったら残せるか考えているが、方策はまだ出てきていない。このまま毎年3億円以上注ぎ込むことが、財政上耐えられるか。このままならあの会社は野垂れ死にする。路線を半分にする方法もあるが、(それが)良いのか悪いのか。いずれ夏までには結論を出さなければならない。出した結論には従って頂くしかない」と、決断の時期を「夏」までと明示した。

 4月21日の記者会見では「地域にとって有益であり、県全体から見て観光面などで有益性があって、初めて生き残れる。仙北市と北秋田市がどう責任を取れるか、一億円ずつ負担することが出来るか、議会が承認してくれるか。地域住民の皆さんが乗車してくれるか。県が誘客システムのサポートをどのように出来るか。早めに安全対策をしなければならない。速度制限をしながら騙し騙し使っている」と先の見えない実情を説明しながら、沿線住民に対して高いハードルを提示した。夏までとした期限は「今年の9月まで」と断定した。沿線の自治体は平成の大合併で8町村から北秋田市と仙北市の2市となっていた。

 寺田は4月下旬から内陸線トークを開始した。5月12日の記者会見で、地元住民の熱意をどう受け取ったか質問を受けた。「また癇癪玉を起こしたと言うのではないが、自分たちのレールだという意識を持ってもらいたい。仕事に車を使わずあれに乗ってみようとか、そういう心を持ってもらいたい」と、いま一つの物足りなさを率直に語った。それでも「(内陸線を)新たに造るとなると4,5百億円もかかる。歴史的な財産なんです。だから県民運動として県民だったら年に1回は乗るとか、当該市町村だったら3回ずつ乗るとか、そうしてみんなで支えない限りは無理だ」と、存続の考えを時折覗かせながら住民の意識改革を求めた。「9月に結論を出す」理由は「拙速という声もあるが、あれだけ老朽化した施設なので、安全性のためにはトンネルとか橋だとか早めに手を付けなければならない。先延ばしにすればいいという問題ではない。だから9月と言っている」と緊急性を強調した。
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地域の夢
 平成20年6月定例県議会で近藤健一郎議員(みらい21)が「内陸線の存続のための条件」を質問。寺田は「この鉄道の再生は北秋田市、仙北市と県が三位一体になって取り組むべきで、そのいずれかが欠けても達成は困難だ。経常損失額を地元自治体と県が継続的に負担出来る範囲に抑えることが出来るかどうかを検討していく」と解決策を模索中だと答えている。

 内陸線開業以来といわれる生き残りをかけた住民一丸の乗車運動が始まった。6月から地元市職員が定期を買って鉄道通勤に切り換えるなど、年間6万人程度の乗客増が見込まれた。地元の商工団体などに加え県内のいろいろな団体が県民ぐるみの存続支援活動を始めた。

 寺田も6月定例県議会に第三セクター鉄道の利用促進を図るためのファンクラブの創設や、体験乗車会を実施したりする「秋田の三セク鉄道魅力体験事業」を新設し250万円を計上して乗車運動を後押した。内陸線の乗客数は目に見えて増え出した。

 国も地域公共交通再生のための法律を改正し、鉄道や駅などの施設を自治体が保有し会社の負担を減らす公有民営化方式を打ち出し、安全対策工事の3分の1を補助することになった。

 9月まであと2週間足らずとなった8月18日、寺田から「財政負担」を求められていた岸辺陞・北秋田市長と石黒直次・仙北市長が県庁を訪ね、寺田と内陸線存続について話し合い、県と両市が三位一体となって内陸線を存続していくことで合意した。目標値などを詰めた最終合意は9月9日の三者会談で決定することになった。

 存続を決断した理由を聞かれた寺田は「経営的な視点からは断念すべきだというのが一般的な考えだし、私もそう思う。しかし、地域の夢だとか、高齢者対策を含めた公共福祉的な考え方、それに地域の方々にプラスして県民の方々が自分たちのレールということで活用して頂ければ、何とか年間60万人ぐらいの利用は維持出来るんじゃないか。高齢者など交通弱者の公共の福祉を含め、レールはこれからの時代に適っている。不採算路線を全部地方が受け持ち、JRは経営が間に合わなければ廃線にするという将来の鉄道の在り方も含めて、これを諦めて断念するよりもトライしてみる価値はあると思った」(9月8日記者会見)と、地域の夢にかけたことを明かした。
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5年の存続で県と2市の三者合意
 平成20年9月9日、県庁で寺田と岸辺陞北秋田市長、石黒直次仙北市長の三者会談が開かれ、平成24年度までに乗客を60万人に増やし、単年度の経常損失を6000万円までに減らして赤字額を2億円に圧縮することで、5年間の存続に合意した。損失や安全対策工事は県と両市が同等に負担することになった。

 寺田は9月12日から開かれた9月定例県議会で「県民乗車運動が活発化し、一定の乗客数の確保が出来る。国の地域公共交通再生のための支援が強化され、会社の負担軽減が図られることになった。両市、県及び会社の一体となった経営努力により収支の改善が見込まれる。両市からは今後の財政負担について理解が得られた」と内陸線存続を決断した経過を説明した。

 将来の財政負担増を危惧して最後まで態度を保留していた仙北市議会が11月25日、「三者合意の実現に向け最大限努力する」と決議。内陸線存続のための三位一体の取り組み体制が整った。寺田は「大変うれしい。これで仙北市が予算は通しませんということはあり得ない。早く乗車運動、誘客運動にエネルギーを注いだほうが良い」(同日の記者会見)と喜んだ。
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3年ぶりに乗客増える
 存続が決まった内陸線の平成20年度の輸送人員は47万人と前年を3万7000人上回った。売り上げも2600万円増え、2億2800万円を確保、経常損失は前年度から2000万円圧縮した。目標の60万人には遠かったが、前に動き出したことは確かだった。
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新聞記者になって口酸っぱく教えられたのが「現場百編」。本当のことを知りたかったら何度も事件現場に足を運べということだった。政治も同じことだと寺田氏から教えられた。

寺田知事は秋田内陸縦貫線存廃の判断をするため何度も現場を見て歩いていた。その結果が、文中の9月8日の記者会見の「地域の夢だとか高齢者など交通弱者の公共の福祉を含め、レールはこれからの時代に適っている。不採算路線を全部地方が受け持ち、JRは経営が間に合わなければ廃線にするという将来の鉄道の在り方を含めて、これを諦めて断念するよりもトライしてみる価値はある」との決断だった。 この時点で既に彼は、今日のJR北海道のような状況の到来を予見している。

それから3年後の平成23年3月、国は寺田知事の決断を踏襲するような、日本で初となる「交通基本法」を閣議決定した。

世界中を歩く鉄道交通問題の第一人者である宇都宮浄人・関西大教授は、著書「鉄道復権」(新潮社)のなかで、交通基本法がその理念に「共助」の視点を加えたことを評価し「高齢化・人口減少・デフレ経済という事態に直面する日本において、エネルギーを浪費せず、環境効率が良く、しかも老若男女の社会参加を促すことができる鉄道の価値は計り知れない」と指摘しており、寺田知事の思いと同じだと感じた。政治には具現化が求められる。無策のまま放置していたら廃線、そして地域の衰退という終着駅が待っている。

※次回は年明けの1月10日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 6

 2 三位一体改革の意味

 地方分権を進め、自己決定・自己責任の仕組みを作るには、三位一体の改革推し進めるしかないと思っています。税源を住民税にして税率を上げ、3兆2千億円の補助金を削って、3兆円の税源移譲を受ける。あとは地方交付税をどうするのか、という問題になります。

 昨日も、地方の1万人総決起大会ということで東京の武道館に行って来たのですが、実際のところ結論がどうなるのか皆目分かりません。誰も分からないと思います。おそらく小泉総理(当時)も、まさにいま一生懸命考えているのではないですか。

 しかし、この結論いかんでは「何のための地方分権一括法だったのか」ということになります。私から言わせますと、現在の世の中は「主権在民」ではなく「主権霞が関」になっています。三位一体の改革を進めると、国の役所が「自分たちの権限がなくなる。配分する予算がなくなる」そういう感覚なんですね。たとえば幼稚園をつくる時もそうですし、農業予算をどこにつけるかを決める時もそうです。何をする時も「自分たちの決裁がなければだめだ。資料を送れ」と言うのです。この国の許認可に係る資料作りというのは、市町村にとって大変な負担になっています。市長時代の私の経験では、市役所の事務作業の3割は国に対する資料書きです。これがなければもっと市民に向かい合った仕事が出来るのに…と何度も思いました。

 私は県民にも同じ説明をしているのですが、このように3色の下敷きを用意します。赤は赤字の国、緑は緑豊かな秋田県、白は市町村です。この3枚がそれぞれ重なって、その重なった部分が国・県・市町村の権限の重複を表しています。これは余分なコストそのものですね。見れば分かるように大変な仕事の重複をしながら仕事をしているのが現在の三層制の行政なのです。

 特別養護老人ホームを造るにしても、国から「木造なら2階建てはだめ」とされていて、何でも詳細に決まってしまっています。どうしてだめなのか。一応の理屈はあるのですが、全く理解できない。聞いたところでは、お酒の作り方だって、西日本と秋田とでは違うそうです。なんでも全国一律というわけにはいかないでしょう。

 これからの国はグローバル化した世界を相手にして、やる事がたくさんあるはずです。外交・防衛・通貨、大きな意味の環境などどんどん複雑化している分野です。中央がそうした仕事に専念すれば、地方は地方で自立していただく、ということになります。そうなるとコストの面から400万人の公務員がいる現状を考えないといけなくなります。

 今回の三位一体の改革の結論がどうなるかは分かりません。国や政府・与党は引き延ばしだとか、足して2で割るだとか色々な手法をやってくるけれど、地方分権一括法をキッチリ読んでいれば、三位一体の改革をやらざるを得なくなるはずです。整合性がないもの。地方分権と三位一体の改革は不離一体なんです。

 「形あるものは必ず壊れる」というのが今日の演題ですが、地方分権を進めたら壊れざるを得なくなった、というのが現在の状態です。市町村行政というのは、人が生まれてから、母子手帳、出生届、乳児健診、幼児健診、義務教育、成人病検診、介護保険から死亡届まで。防災関係もそうですね。先日の新潟中越地震もそうでしたが、避難指示など災害対策の主要な仕事は市町村が担っています。県も口は出せますが、あくまで中心は市町村です。行政の基礎を担う市町村が行政の中心になるべきなのに、各省庁もそれに協力する国会議員も自分の仕事がなくなるのが困るのでしょうか。いつも地方分権については総論賛成、各論反対ですね。

《7 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は年明けの1月5日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 5

二. 生き残るために何をすべきか

 1 地方分権の意義

 またイタリアの話に戻りますが、イタリアはピエモンテ州とかプーリア州だとか、各州がしっかりしていて、それぞれが競争を繰り広げています。地方分権がしっかりしている印象があります。

 南イタリアにも行って来ました。宿泊したアマルフィやソレントといった所は観光地としても有名ですね。男鹿半島をさらに大きくした所、というイメージでしょうか。ヴェスヴィオ火山のあるナポリが本荘市だとすると象潟町みたいな位置にあります。男鹿半島より断崖絶壁のスケールが大きい印象を受けました。

 そこで改めて感じたことは、日本の道路はどうしてあんなに立派に作っているのだろう、ということです。アマルフィでは、1.5車線もないような道路がくねくね曲がりくねっています。日本の高コスト体質というものを逆に実感しました。日本人は野菜も曲がった野菜はだめ、道路についても実に画一的。

 ですから帰国した時、私はすぐに県の建設交通部長に「イタリアに行って見て来い」と言いました。あの細いくねくねとした道を大型観光バスが行き交っているわけです。もちろん事故や渋滞とか色々問題があるのかもしれませんが、それはそれでなんとかやっているわけです。今あるものをきっちり使う、というのがこれからの地方分権のあるべき姿だと思うんですね。

 平成12年4月1日から地方分権一括法が施行されました。「自己決定、自己責任の下で物事を進めなさい」ということになったのです。そのあと出て来たのが、市町村合併です。現在もめているところもありますが、うまくいけば県内69市町村が21市町村になる可能性があります。

 まだまだもめるでしょう。それは当然です。だって、首長も、助役も、議員もみんな減るのです。いわばリストラのシステムです。大変なことです。そうやって苦労して地方分権を進めるとその先どうなるのか。それは県民要望が、住民の望むことが、住民の身近なところで決定される、ということに尽きるでしょう。県行政、市町村行政を自己決定でおこなう、ということです。

 今まではどうなのかというと、中央省庁という名の食堂で「カツ丼はこんな規格です」と決めてしまうと、「卵はこんな卵を使え、(カツの)衣はこんなもので、カツの大きさは何グラム。その代り材料費は一部補助します」という仕組みです。創意工夫をする余地が本当に少ない。すべて基準値が決まっています。カツ丼だって、ヒレ肉を使わなくてもトッピングの工夫でもっと美味しいものが出来るかもしれないのに。自己決定で出来る仕組みにすべきだと思いますね。

 「低コスト・満足行政」を実現するためにはもっとシェフ(首長)に任せてもらいたいのです。そうすればお客さん(住民)に喜んでもらえる料理を出す自信はありますよ。比内地鶏の親子丼になっているかもしれませんが、その方が栄養もあるし、秋田でなら、ずっと美味しい、安くてお客さんも喜ぶ一品になります。

《6 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は12月22日に公開いたします。

地方自治改革のヒント~『秋田よ変われ』より~ その1

■天井知らずの東京オリンピック開催費の問題■
小池百合子都知事が都政改革の柱の一つに据えた「五輪予算削減」は、ボートとカヌー・スプリント競技など3会場の移転が不発に終わり、「頭の黒い鼠一匹」に終わりそうだが、それでも数百億円は削減できそうだという。しかし削減できたといっても総額は2兆円とも言われている。

そこでついつい比較したくなるのが2001年8月に秋田県で開催された「ワールドゲームズ秋田大会」。オリンピックの公式競技に入れなかった競技団体が世界各都市で4年に一度開催してるもので「第2のオリンピック」と呼ばれるれっきとした国際大会である。秋田大会には93の国・地域が参加した。3年前に長野県で開かれた冬季オリンピックの参加72ヶ国・地域とほぼ同じ規模であり、一概にマイナー競技と切り捨てるのは早計だ。

その開催費用は、結論から言うとわずか21億円だった。ボート、カヌー・スプリント競技会場となる「海の森水上競技場」は一部仮設にして費用を削減するとしても約300億円はかかるそうだ。この会場一つで「ワールドゲームズ秋田大会」を15回開催できるのだ。何故秋田県でこんな奇跡のようなことができたのか。『秋田よ変われ』からその謎を解明してみる。


 

第1回大会は米国のサンタクララ
 ワールドゲームズはオリンピックの公式競技に入らない12の競技団体が集まり昭和55年(1980年)に結成、翌昭和56年(1981年)米国のサンタクララで第1回大会が開催された。競技人口も少なくマイナーと見られる競技種目も多いが、ここからオリンピック種目に採り上げられるものもあり、選手の意識もレベルも高く「第二のオリンピック」と呼ばれ、4年に1度世界の各都市で開催されてきた。秋田での開催が決まったのは平成8年10月、寺田が知事になる半年前だった。知事就任直後の平成9年6月「秋田ワールドゲームズ2001組織委員会」が設立され、寺田が名誉会長に就いた。会長は秋田魁新報社の林善次郎会長が就任した。8月、フィンランドのラハティで開かれた第5回大会に寺田は林会長と共に出席、大会旗を受け取ってきた。
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県の負担は14億円
 組織委員会は立ち上がったものの、不況の最中で大会の運営金も人も集まらなかった。林会長は毎日新聞秋田版(平成13年9月3日)の「思うぞんぶん」に「(苦労したのは)やっぱりカネと人。スタッフは最初は2人だけ。カネは県と民間半分ずつの計15億円でスタートしたが数字を積み上げてみたらとても無理だと。さてとなったところで知事が、国際大会なんだから思い切ってやろう、私に任せてくれということで、県がさらに8億円出してくれた」と裏話を披露し、寺田に感謝している。

 総額15億円を県と民間の折半で用意し、動き出した運営費用について、改めて県が試算し直したところ25億5000万円に膨れ上がった。式典関係を切り詰め運営本部を県庁内に移し経費削減に努め1億円を削り、費用は総額24億円と12月定例県議会に報告。財政事情の厳しい市町村と民間の負担は据え置く一方、県の負担は14億7200万円に決定した。

 寺田は林組織委員会会長との約束を実行に移し、更に平成12年1月1日付で企画調整部長の羽川正道を組織委員会の専務理事に派遣する人事を発令したほか、県職員70人を送り込んだ。
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観客は文化イベントも合わせて30万人
 8月16日~26日までの11日間は、競技は勿論、大会のもう一つの主要な目的である市民参加型の文化イベントが繰り広げられ、県内はワールドゲームズ一色に染まった。秋田市内に設けられたウエルカムセンターでは海外の選手と県民が茶道や生け花などで交流し賑わった。4千人のボランティアや、この大会に合わせて夏休みが延ばされた多くの小中学生も参加し盛り上げた。

 心配されたチケットの販売は目標の1億1,500万円を達成。26万人が目標の観客は文化イベントを入れ30万人に上り、大会の規模も動員数も過去最高を記録した。観客数が一番多かったのは大潟村で開催されたパラシューティングで約2万人、次いで水上スキーが9000人、コースは大潟村の排水路を利用したものだったが選手からは「こんな素晴らしいコースは見たことがない」と絶賛された。かかった費用は21億1000万円と、23億5000万円の予算内に収まり、残余金2億円は「あきたワールドゲームズ基金」としてスポーツ振興に役立てることになった。

 ワールドゲームズ秋田大会は26日にフィナーレを迎え、秋田の「熱い夏」は終わった。翌日の記者会見で寺田は「これだけ燃え上がったというか、感動を体験出来た11日間でした。この大会は県民にとって長く語り継がれることだと思います」と感動冷めやらぬといった語り口だった。既存の施設だけで開催したローコスト主義も、この後の平成19年に秋田で開催される国体を「日本一質素な国体」にしたい寺田にとっては「良い勉強になった。国体を開催した県は財政的に破綻状態になるとか、いろいろ話題になっているが、こういうことも出来ることを経験出来た」と自信を深められた大会だった。

 9月定例県議会で寺田は、大会成功の原動力は小・中学生や高校生を含めた多くのボランティアのフレンドリーな活動だったと感謝し「この大会は秋田に暮らす人々が、郷土の良さを再発見するまたとない機会となった。私達が祖先から引き継いできた伝統文化や秋田の大地・自然、そして県民の温かいもてなしの心は他に誇り得るかけがいのない財産であり、世代を超えて守り伝えていきたい」と総括した。
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 この大会で取り分け強く印象に残ったのが水上スキー競技だった。世界を舞台に闘ってきたアスリートたちが、八郎潟干拓で残された排水路を「こんな素晴らしいコースは見たことはない」と称賛したことだった。東京オリンピック・パラリンピックではアスリートファーストの名の下に競技会場が次々に作られる。レガシー(遺産)というそうだ。あとには多額な維持費や借金が次の世代に残される。寺田知事はいわゆる箱物のレガシーは何一つ作らなかった。代わりにアスリートや県民の心の中にレガシーを残した。既存の施設を活用した県民挙げてのボランティアで大会を盛り上げた国際大会に「頭の黒いネズミ」が忍び寄る利権は全くなかった。

FM秋田「Morning Up! Friday」に出演します。

明日(12/09)の朝、地元のFMラジオ局・FM秋田「Morning Up! Friday」に、先月11日に引き続き、また出演させていただくことになりました。

出演時間は、おおよそですが9:40~10:00の予定です。
お時間のある方は、FM秋田をチェックしてみてください。

なお、FM秋田はIPサイマルラジオに加入していないため、残念ながら秋田県外の方はradikoでご視聴いただけません。悪しからずご了承ください。

リンク⇒FM秋田HP
※プログラムの中から Morning Up! Friday を選ぶと、番組に楽曲のリクエストやメッセージが送れます。

 

講演録「形あるものは必ず壊れる」 4

 4.国際教養大学の挑戦と成功

 今年(平成16年4月)開学した国際教養大学は、公立大学として全国初の独立行政法人です。東京外国語大学の学長も務められた中嶋嶺雄先生に学長をしていただいています。彼の理想を実現して教授会の弊害をなくし、機動的な経営が出来る体制にしています。徹底的に「こだわり」を追求した大学です。

 授業は全部英語で少人数教育。1年間の寮生活で英語漬けにします。宿題も欧米の大学並みにどっさり出ます。図書館もカフェテラスも24時間開けて勉強出来るようにしています。ある程度英語が出来るようになったら1年間の留学が義務付けられています。出来たばかりの小さな大学ですが、学生のTOEFLの点数が3ヶ月で50点も上がるなど目覚しい成果を上げています。

 振り返ってみれば、その立ち上げには大変苦労しました。あまりに苦しいものだから、私も一時は母校でもある早稲田大学に頼ろうかな…と考えたこともありました。しかし、理想を追って独立独歩を貫いて良かったと今は感じています。

 聞いた話ですが、早稲田大学でも国際教養学部を立ち上げたものの順調とは言い難いそうです。有名私立大学といえども、新設学部は大学の矛盾点を抱え込んで大変な面があるようで、全くのしがらみのない大学づくりの方がむしろうまくいくのかもしれません。

 これも先月のことですが、京都の立命館大学に講演に行ってきました。立命館大学は今一番勢いのある私立大学だそうで、九州に国際系の新大学も作ったそうです。その先生もこう言っていました。「TOEFLで500点を取らせるのは実に大変。我々は550点まで取らせることは出来ないと思っている」と。海外に留学するには550点くらい取れないとうまくいかないそうですが、国際教養大学ではもう500点を超えている。来年には550点になって、みんな海外に留学に出してやろうということになっています。

 その秘訣は、事務職、臨時職員まで英語が出来る体制でしょう。臨時職員でもTOEICで800~900点取るような人が来たり、職員を募集したらMBAを持っている人もやって来ました。県庁の職員も何人か派遣していますが、彼らだけ英語が喋れなくて困っちゃった。彼ら以外は教員も全員英語が話せます。教職員は3年間の任期任用制を採っています。3年間仕事をして、だめなら辞めなくてはならない。その評価を第三者や学生から、まさに360度からさせる仕組みです。もうそこまで時代は進んでいるのです。

 5.国際化教育が必要

 これからの日本は国際化を避けては生きていけません。国際化に対応するためには、キリスト教というのがどんな宗教なのか、イスラム教の掟はどのようなものなのか、そういう宗教教育が必要かもしれませんね。それから、私の理想論、空想論をちょっと述べさせていただきますと、学校を卒業する前の若者に1年間の海外生活、異文化体験を義務付けても良いのではないかと思うのです。年間50万人を対象とするとして、1人200万円で予算1兆円。10年間で500万人、日本に国際化対応できる人材が育つことになります。日本には徴兵制は無いですから、その代わりと考えても良いのではないでしょうか。何かの予算を削っても国際化対応の人材づくりは必要だと思います。

 異文化交流は必ず人材を育てます。「行って」「見て」「感じて」来れば、必ず得ることがありますし、ほぼ例外なく、自分や自分の国を見つめ直してくれます。自分の存在を他者との比較で意識した時、人は深く、そして真剣に、考え始めます。そして何より、思考停止状態では異国では生きていけないので、間違いなく、たくましくなって帰って来ます。やってみても良いと思うんですがね。

《5 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は12月15日に公開いたします。

地方自治 改革のヒント~『秋田よ変われ』より~ スタートします

 『秋田よ変われ 寺田県政12年』を秋田魁新聞社から今年3月出版いたしました、著者の寺田健一です。

 この本は、寺田典城前秋田県知事が食糧費問題など、長期にわたる保守政権によって積み上げられてきた構造腐敗の解決に奔走し、さらには国際教養大学の開設など革新的な政策を次々に打ち出した県政物語を綴ったものです。

 発売後、秋田県内はもとより県外から読書感をしたためたお手紙を多数いただきました。
時あたかも、東京都では舛添前東京都知事の高額な海外出張旅費や湯河原の別荘までの公用車での私用通勤などの不祥事が露わになり、知事の在り方が問われる事態が発生しました。

 いただいたお手紙には、「随分意欲的な知事がいたものだと感心しています。舛添(前都知事)に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい」(千葉県船橋市、男性)や「(寺田前)知事もすごいことをやったものと改めて思い知らされます。県内の公務員の方々の座右の書として広く購読されますことを祈念します」(秋田県横手市、男性)、「信頼を失いかけている地方自治体の長の在り方に信頼を再び取り返させてくれる時宣にあった著書と思いました」(東京都杉並区、男性)、「今の政治家たちがどれほど市民の前で誇れるか。秋田の人達のためにも(寺田前)知事は益々活躍してほしい」(宮城県岩沼市、男性)、「少子高齢化で痛めつけられ、人口減に悩む秋田ですが、どっこい県民は明日に向かって、なにくそと頑張っていると思います。その礎を寺田(前)知事は築いたのでしょうか。異彩を放つ国際教養大学についてじっくり読ませていただきました」(千葉県松戸市、男性)など、寺田県政に共感を示すものがたくさんありました。

 この夏、東京都に初の女性知事が誕生しました。小池百合子都知事は情報公開を訴え、豊洲新市場の盛り土偽装問題や2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催費用が3兆円を超すことに異議を唱え、都民から高い支持を受けました。テレビのワイドショーは連日、都政問題を取り上げお茶の間の話題を独占しました。豊洲新市場の問題で情報公開された文書は墨で真っ黒に塗りつぶされ「のり弁」と揶揄されましたが、秋田では20年前、食糧費問題でまったく同じような黒塗りの文書が登場しました。隠蔽体質は今なお続いているのです。

 この本で、帯のキャッチコピーを「おい、典城! お前ならどうする!」としましたのは、県政の問題に寺田前知事がどう対処したのかを知りたかったからです。これから月2回、今湧き上がっている地方自治の諸問題に寺田典城氏なら、どう対処し、どんな「解答」を出すのか、『秋田よ変われ』を引用しながら考えるヒントを紹介していきたいと思いますのでお楽しみに。

 

※次回は来週12月13日に掲載いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 3

 3.イタリアに学ぶスローフード

 先月(平成16年10月)、イタリアに行ってスローフード運動を視察してきました。ピエモンテ州のブラという村で、一言でいうとイタリアの中の秋田県のようなところに行ってきました。州の中心はトリノで、今度オリンピックがありますね。ブラの村には国際スローフード協会の本部があります。ちょうど2年に一度の国際見本市「サローネ・デル・グスト」が開催されていまして、それ以外にもいろいろな伝統的な農法をおこなっている農家を訪ね、農業関係者に会ってきました。

 日本が農耕文化、米の文化であるのに対し、ヨーロッパは肉の文化、牧畜の文化ですね。チーズや生ハムなどです。イタリアでも改めて感じたのですが、現代日本の、大量生産、大量消費で、同一規格品を作る農業って一体何なのでしょうか。においのしないトマトやキュウリ、土のにおいのしない野菜だとかを作っている。子ども達の味覚が最近おかしい、という話も聞きます。自然食はいかに美味しいか、ということが欧米でもスローフード運動などで認識されてきています。

 イタリアでは「食べることは人生だ」という認識があります。もちろん、夜中の10時、11時まで、2時間以上かけてディナーを食べるところですから、日本人にはなかなか真似できないところもありますが。そこは日本人の健康、長寿のためにも日本型のスローフード運動を展開しなければと思います。県庁で、スローフード県民運動チームでも作って取り組まないといけません。地元の物、安全・安心で新鮮な、その土地の伝統にあった物を食する。堅苦しく考えることはないのです。でも、それを基本にして食事をすれば、何より健康につながりますし、ゆったりした気分で地元の文化に親しむ、スローライフにつながっていくと思いませんか。スローライフは秋田に合うし、これからの秋田の強みにもなると思いますが、どう思われますか。

 さて秋田でも、ここ5、6年は「地産地消運動」といって「地元のものを食べましょう」という運動をしていまして、ようやく県民に浸透してきました。かつてはファーマーズ・マーケットと言っても、全部で1~2億円しか売り上げがなかったのですが、今や1店舗で1~2億円を売り上げる直売所もあり、全部で26億円以上も売り上げるようになりました。

 農業関係の人づくりも大切です。イタリアでは世界初の食科学大学を見て来ました。秋田県立大学ではバイオ関連の研究もやっていますが、それ以外に、平成18年4月1日からは県立大学の短期大学部を4年制大学に改組しようとしています。ここは農業を学ぶ学部なのですが、これからはイタリアの食科学大学もヒントにして、アグリビジネスを学ぶ大学にしたいのです。アグリビジネスとは具体的に何をしたいのかというと「秋田県で出来ることだけをしよう」ということです。秋田県のスペシャリティーをここで学ぶ人に持たせようということなんです。具体的には、ここで学べば、米作りから野菜作り、果樹作りまで、農業経営からマーケティング、農薬の扱い方まで全て身につくような、そんな実践的な大学にしようということを目論んでいます。

 どうしてそんなことが出来るのかというと、大潟村に200ヘクタールの県立大学の農地があるのです。これを一人10ヘクタールずつでも任せて実際に農業をやらせてみればいい。毎年毎年50人も育成出来れば、それは凄いことになっていく。そのなかで自然食品なども学ばせたいのです。秋田らしい食文化を、秋田らしい体制で浸透させたいのです。私は学術的な研究を深めることも大切だと理解していますが、実践的な、社会に直接役に立つ人材育成を目的とした教育もまた重要だと思っています。大潟村の水平線の見える大地に、秋田の農業の夢づくりを担う人材が育つ場を創りたい。そう夢見ています。

《4 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は12月8日に公開いたします。

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