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文科省の「天下り」問題を他山の石として「食糧費不正事件」の再発なきを願う~『秋田よ変われ』より・その5~

今年の1月、文部科学省が組織ぐるみで違法な「天下り」あっせんを続けていたことが明るみとなった。10年ほど前に、公務員の「天下り」は官民の癒着の温床になると批判されたことで、平成20年末に国家公務員法が改正され、現役の職員によるあっせんなどが禁止されていた。ところが文部科学省は、翌年の平成21年から人事課OBを窓口に現職の事務次官らが関与して「省ぐるみ」で天下りをあっせんしていた。同省の中間発表(2月21日)によると新たに17件の「天下り」があったという。根絶したはずの「天下り」が堂々とまかり通っていたことに驚くとともに、かつて秋田県を揺るがしたあの大事件が頭をよぎった。平成7年に始まった、秋田県庁の食糧費不適正支出問題である。渦中にいた県職員の方々には思い出したくない悪夢だろうが、不正はモグラ叩きのように、隠しても隠しても次から次と噴出し、最後は究明に窮した当時の知事が責任を取って辞任するに至った。

知事選で勝利した寺田氏に食糧費不正問題の解明が託された。県職員の1割を投入し約1年かけて調査した結果、平成6、7、8年の3ヶ年で食糧費のほか、カラ雇用、カラ出張など、不適正執行額は総額43億6千万円に上った。これに延滞損害金を加えた約50億円を県職員は7年かけて平成17年に全額返済した。全く身に覚えのない職員も含めて身銭を切った。寺田知事はウラ金作りをしていた庁内の裏組織を解体、二度とこのような事がないように、出金システムも変えた。文部科学省の「天下り」のようなことはないと信じたいが、あれから20年余が過ぎた。あの当時どのようなことが白昼堂々と行われていたか、次世代に伝えておくことも大事なことと思う。


職員500人を投入
 副知事不在の中、加沢総務部長がキャップの食糧費等調査委員会は動き出した。各課から2~3人が調査担当員に任命され、部局ごとに調査班が設けられ、77課局・室と214の地方機関が一斉に調査を開始した。調査に係わる人員は500人に上り、県職員の1割が投入された。調査は平成8年度分から手掛けられ、順次年度を遡ることとなった。調査員は各部署に保管されていた31万9630件の支払い命令の伝票一枚一枚について職員の記憶と照合して調査票に記入していく気の遠くなるような作業に取り組んだ。
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裏金発見
 県は平成8年度公費不適正支出調査の中間報告を8月25日に発表した。不正の総額は2815万円。食糧費と旅費はゼロだったが、新たに加えた調査費目で不適正支出が見つかった。賃金799万円、報償費47万円、一般需用費1796万円、役務費104万円、使用料及び賃借料67万円。
改善策が施行されたにもかかわらず、不適正支出が懲りることなく続いていたのも驚きだったが、調査科目に入っていなかった多額の裏金が見つかったのは衝撃だった。
総額8925万円のほとんどが現金で保管されていた。9月3日までに県立農業短大から277万円の駆け込みの届け出があり、裏金は9200万円にまで膨れ上がった。捻出方法や使途、保管管理、各課間での融通などの経緯は、平成7年度、6年度の調査と密接に関連していることから、それらを待って明らかにしていくことになった。
寺田は今回の裏金を「保有現金」と表現した。即現金化出来る捻出方法は、カラ賃金かカラ出張だった。カラ賃金とは「日々雇用制度」といわれる14日以内の臨時雇用は現場の判断で支出出来ることを悪用した。裏金のもう一つは架空の備品やお土産を買ったことにし、代金を業者に預けておく方法があり、これもやがて発覚する。平成8年度の調査結果を公表した8月25日、寺田は、県正庁に集まった調査担当者約480人に対して「これから始まる平成7年度、6年度の調査は産みの苦しみになるだろうが、これが県民から信頼回復を得る最後のチャンスであり、中途半端な調査は問題を引きずるだけ、健康管理に留意して調査に全力を上げてほしい」と激励した。

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平成7年度の不正は11億円 主役はカラ雇用
 10月27日、県は平成7年度の食糧費等不適正支出調査の中間報告を発表した。調査の対象は平成8年度分の調査と同じく知事部局など10部局4委員会78課局室、213地方機関を対象に行った。寺田は「県民の信頼回復する上で最後の機会であると職員に再三申し上げてきた。決して調査の信憑性を疑われることがないように、注意を喚起しながら進めてきた」と調査の精度に自信を見せた。
不適正支出額は総額11億341万円に急増した。調べた8費目のうち、食糧費は9694万円、「旅費」3億52万円で、昨年の佐々木前知事の調査時より両費目で2億2877万円も増えた。7年度は食糧費問題が発覚、同年11月からは是正措置もとられていただけに、腐敗の根の深さを思い知らされた。
食糧費、旅費以外の費目全てに不適正支出があった。不正の主役は食糧費から賃金に代わった。全体の半分近い5億4028万円がいわゆる「カラ雇用」だった。旅費を加えると8億4000万円が架空支出で現金化され、飲み食いなどに流用されていた。
各部局ごとの不適正支出額は、土木部がトップで4億5000万円、次いで農政部が3億2000万円とずば抜けて高かった。両部合わせると全体の7割を占め、不適正支出の構図の輪郭が浮かんできた。「知事部局の中枢が仕切り、現場が実行する」と寺田が見立てた通りの展開になってきた。引き続き進められている平成6年度の調査では更に額が膨らむことは確実で、前年に約10億円の返還を余儀なくされた幹部職員は再びのしかかって来る「返還の重荷」に不安を募らせた。

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平成6年度は31億円
 12月12日の記者会見で、想像を絶する巨額の不正金を公表した寺田は強いショックを隠し切れなかった。
平成6年度食糧費等不適正支出は、実に総額31億3040万円と平成7年度の3倍近くに跳ね上がった。平成6年度に県が執行した支出命令額は271億4600万円、その1割以上が不正に使われていた。
不適正支出額で最も多かったのは賃金の10億9533万円、次は旅費8億4299万円。「カラ賃金」や「カラ出張」によって引き出された保有金、いわゆる「裏金」は19億3833万円で不摘正支出の62%を占めた。寺田は「想像を超えた金額」と絶句した。
食糧費は6億2637万円、一般需用費3億2290万円、使用料及び賃借料の1億2994万円と、億の台に乗った。
「デタラメ度」の指標となる「支出命令額に占める割合」を見ると、食糧費は53.5%と半分が不適正支出、賃金は34.5%と3分の1が「カラ雇用」、旅費は20.3%が「カラ出張」だった。使途の段然のトップは「職員同士等の会食他」だった。「食糧費」の不適正支出だけでは足りず、カラ雇用などで生み出した裏金を使って、不正総額のほぼ半分、15億1431万円を飲み食いに使っていた。「裏金」は、今回の調査で一般需用費、役務費などからも一部が現金化されていることも分かり、最終報告で公表されることになった。
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議会も3年間に3千万円の飲食他
 寺田は使途を巡って初めて政治絡みに言及した。「悪しき慣習とはいえ、一番の責任は執行部にある。しかし、議会の人方も飲食を共にしている。これは職員同士等の会食の、『等』(の一字)に含まれている。チェック出来なかった議会に対しても残念だったと思う」と、一緒に飲めば当然気づいて当たり前であるはずの議会の責任にも触れた。
「まるっきり職員同士の飲み食いで15億ということではなく、いろんな方々との懇談があったと理解して欲しい」と言う意味を込めての「等」であった。12月定例県議会の総務企画委員会で不適正支出の中に政治家のパーティー券購入や、集会などへの出席費用や様々な書籍の購入など政治絡みの支出もあったと県側は認めている。議員との懇談費用は調査した3年間で3000万円だったと平成10年2月定例県議会で答弁している。
6月から始まった調査は6年度分の調査でひと区切りついた。6,7,8年度を合わせた不適正支出額は中間報告を合算すると42億5000万円に上ったが、最終結果の報告は調査漏れが無いよう再点検し、1カ月かけて市民団体や県民から情報を集めた後とした。
年明けの1月末の最終報告に向け、返還問題が寺田の肩に重くのしかかってきた。返還する額は全額か、一部か、その基準は、返還するのは当事者だけか、それとも県職員全員か。最後に決断するのは知事である寺田である。

土木部と農政部で不正の64%
 2月20日、食糧費等の執行に係わる調査の最終報告が発表された。調査対象の知事部局、企業局、人事と地方労働の2委員会事務局、監査委員事務局及び教育庁と、独自に調査していた議会事務局を含めて発表した。
調査の結果「他の目的に充当された額」42億9359万円に、グレーゾーンとして区分が未定だったタクシー使用料7259万円が「支出実態を確認できなかった額」として不適正支出に加えられ「不適正な執行額」と認定された総額は43億6619万円と驚くほど巨大な金額になった。
年度別の「他の目的に充当された額」は平成6年度31億5380万円、7年度11億1105万円、8年度2873万円。費目別に見ると賃金がトップで全体の38.3%の16億4379万円、次いで旅費が26.8%、11億5086万円、食糧費は17.1%,7億3379万円で、この3費目で全体の82.2%を占めた。このほか一般需用費4億5666万円、使用料及び賃借料1億5878万円、役務費8729万円、報償費5871万円、備品購入費368万円と全ての費目で不正な支出が認められた。
不正支出額が支出命令額に占める割合は食糧費45.2%、賃金20.5%、旅費11.4%と不正が蔓延していたことが改めて明らかにされた。
部局別では、土木部が16億7019万円、農政部10億8285万円と群を抜いて多く、全体の64.1%を占めた。両部で作られた不正な資金が県庁内を循環していた。
不正金の使途は「職員同士等の会食他」がダントツの20億5223万円で全体の47.8%とほぼ半分を占めた。次いで「事務費等への充当」8億7712万円、「調査費・工事費等への充当」4億3565万円、「慶弔費等への充当」4億2122万円と続き、この4費目で88.2%になった。
職員同士の慰労会、送別会、歓迎会、退職者への記念品や餞別、海外旅行への餞別、議会や市町村関係者、商工、農業、金融、報道関係などとの懇談会と称する飲み会、親睦会への助成、結婚式のご祝儀、お葬式の香典、残業時の夜食代や会議の負担金、地域の祭りへのご祝儀もあったりと、ありとあらゆることに使われていた。
現金を包んだお中元、お歳暮もあったというが、これらは職員のメモと記憶を元にしたもので、贈られたとされる相手から一つ一つ聞き取るなどの裏付け調査が出来なかったために確証は取れなかった。内部調査の限界だった。

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裏金は28億円余
 裏金の全貌も明らかになった。平成6~8年度の3年間に捻出された裏金の額は28億2788万円、支出が27億5093万円、6年度当初の保有金と合わせて9199万円が現金で40課所に分散して保有されていた。この他に「カラ購入」などで業者に預けていた裏金4076万円も見つかった。
最終報告では、食糧費等適正執行考査委員会に提示した5項目の判断基準に照らし、集計して積み上げられた「返還を要する額」28億9921万円が提示された。問題は残りの14億6600万円の取り扱いである。
今回の調査を踏まえ改善策が出された。年度末に余った予算を無理やり消化する「決算調整」の根絶、地域とのつながりに必要な経費は新たに「地域交流費」を設け予算計上するなどが決まった。精神論だけではない実務型が取られ、具体的には、賃金は雇用者本人の口座に払うことや、出張は用務などを詳細に記載させたうえで、旅行代金は職員本人への口座に払うこと、公文書の郵送には郵便局の料金後納制度を活用することなど民間会社ばりのきめ細やかな改善であった。

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全額返還を決断
 寺田は「3月27日の部局長会議で意見を集約し、30日に、6月の調査開始の時の出発式みたいに、あの場所に集まってもらって、締めくくりにしようと考えている。27日がヤマ場」と明かした。食糧費問題は最後の大詰めを迎える。
27日の部局長会も結論は出なかった。寺田は「行政は税で賄われている。信頼回復には全額返還しかない。しかし、職員にはこの問題に携わっていない人もたくさんいる。被害者だという意見もある。それも真っ当な意見だと思う。そういう点で意見集約となれば、私が一任を取り付けるしかない」と、自らが責任を取ることを明確にした。 寺田は、土曜日から月曜日の朝まで知事公舎にこもって、思索を重ね、ついに全額返還を決断した。30日朝の部局長会はすぐ調査委員会に切り替わった。寺田は返還額は一部分とも全額ともどちらとも明かさず「俺に任してくれるか」とだけ言った。
11時15分、寺田は県正庁に集まった職員約400人を前に「この問題にピリオドを打つには全額返還の道を選択せざるをえないとの結論にいたった」と切り出した。庁内放送を通じて各地方事務所にも流した。
寺田が朝方まで筆を入れた2800文字の説明文には、結論に至るまでの曲折がしみ込んでいた。
部分返還という道もあった。しかし、それで果して職員が誇りと自信をもって職務に精励出来るか。免責に対する県民の不満。訴訟の場面で職員が苦しい立場に立たされないか。そのことは問題解決をエンドレスにしないか。全額返還の道を選べば職員の生活に重く負担がのしかかる。行きつ戻りつの思考の末、寺田は「納税者である県民と奉仕する立場の職員が意識を一体化させ、文書の書き換えなどを反省しピリオドを打つべき」との結論に達したと説明した。
返還額は膨大でハードルは高かった。職員の不安を緩和するため、「広く、薄く、長く」を返済の基本に置き、全職員で返済し、職員の生活に支障が生じない返還方法を示した。最後に「全額を返還する事が県民の信頼回復の第一歩と確信し、三年間に費やしたエネルギーを県民のために捧げ二度とこのようなことを生じさせないことを誓う」と結んだ。
職員への説明の後の記者会見で「全額返還を決断した今の気持ちは」と問われて「重苦しい感じだ。しかしこのことが解決出来れば、晴れ間を見ることが出来る。希望を持って、頑張って行くにも3月31日までけりをつけたかった」と語った。

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遅延損害金を含めた約50億円の返済
 4月に入り職員返還会が作られ、返還対象となった職員の98%が加入し、職階に応じた10年間リレー方式で返還することになった。
年間の返還額は部長級の42万円から主事・技師級の2万4千円まで11区分に分けられ、給料とボーナスから天引きすることにした。返還額は不適正執行額43億6623万円から、既に前回返還済みの分と回収した裏金など10億9049万円を差し引いた32億7573万円に遅延損害金5億4364万円を加えた38億1938万円となった。

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県生連との和解

 平成12年2月4日「県生活と健康を守る会連合会」(鈴木正和会長・県生連)が佐々木前知事らを相手取り、食糧費などの公金の返還を求めた住民訴訟4件と虚偽文書の公開で受けた損害賠償請求訴訟1件の合わせて5件の訴訟の和解が秋田地裁で成立した。(中略)
県生連が平成7年から5年間に提訴した訴訟は約50件に上る。このうち佐々木前知事時代に絡む訴訟は上告2件と県議会の公文書開示請求訴訟だけを残して終結した。鈴木会長は記者会見で「5年間は辛いことが多かったが、途中で止めなくてよかった。県は批判する団体には冷淡だが、それだけに県が県生連に一定の評価をした意味は大きい」と語っている。寺田知事に対しては「食糧費問題全体に関しては積極的な役割を果たした」と評価した。
寺田は臨時記者会見を開き、県生連に対して「県政の正常化に大きな役割を果たしてくれた。大変粘り強く、努力なさったそのエネルギーには敬服している」謝意を示した。知事に就任して食糧費問題解決に3年を費やした。

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返済終了は平成17年

 返還金は職員互助会が金融機関から借り入れ、出納閉鎖日の平成10年5月29日、一括して立て替え払いした。それから7年経った平成17年6月30日のボーナス支給で返済が終了した。退職時に3年分を一括して返済するなどの職員の協力もあって、返済期間10年の予定が3年早く完済し、県庁の「負の遺産」は漸く清算された。
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食糧費問題は全国市民オンブズマン連絡会議の調査によると、秋田県以外にも25都道府県で発覚したが、知事が辞職したのは秋田県だけだった。秋田県政史上例を見ない一大不祥事であり、県民の信頼を著しく失ったのも事実で、信頼回復に向けて寺田知事は渾身の力を込めて県政に取り組まねばならなかった。
寺田知事はその後、食糧費などの不適正支出で県職員が返還した資金を人材育成に投下した。第一弾が平成11年度に実施した「ふるさと子どもドリーム支援事業」だった。県内全ての小・中学校と特殊教育学校の477校に生徒数に関係なく、1校につき100万円を助成、子供たちの夢の実現に当ててもらった。子供達は計画作りに夢中になり、父兄を巻き込み「一度空から学校を見たかった」とヘリコプターをチャーターしたり、熱気球に乗ったり、オリジナルのミュージカルを上演したり、中には衰退していく故郷の祭りを盛んにするためにお金を使った学校もあった。 この事業は分断されていた学校と地域のつながりを生み出し、保護者だけでなく地域の住民が学校と関わるきっかけを作り、先生と子供たちの心に変化をもたらした。
職員の返還金はこのほかに、少人数学級を進めるための非常勤講師採用の資金にもなった。このことは地方の小規模学校の学力向上の刺激となり「学びのそこじから」につながった。45年前は全国で40番目前後だった秋田県が、平成19年に再開された全国学力テストでは、小学6年生は国語、算数の「知識」「活用」の4科目とも全国1位、中学3年生は国語の「活用」が1位、残りも2位と3位と学力日本一となっていた。
返還にかけた職員の苦労は「生きたお金」となって報われた、と言えよう。

※次回は3月14日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 14

 7 高速道路~「タダが一番いい」

 次は高速道路の話をさせてください。これまで秋田県は高速道路を次のような二本柱でつくってきました。その点で秋田県は特殊な県だと思います。一本目は普通に日本道路公団がつくる方法。これなら県は建設費用を負担する必要がありません。受益者負担の原則で高速道路の利用者が料金を払いますから。しかしながら、しばらく前から道路公団は不採算区間は原則つくりません、という方針になってきました。その結果でもありますが、秋田県では県内路線の約6割は道路公団が施工しましたが、それ以外は建設省、今の国土交通省直轄で「A’」という方式で建設しました。これが二本目の柱です。

 この方式だと県の負担が実質20%ぐらいになりますが、その負担をしてでも秋田県は早くつくりたかったのです。横手から湯沢は建設省直轄事業です。大館西道路もそうです。これらは税金でつくっているので、利用料金はタダなんです。最後の方で少しだけ道路公団が舗装してしまったものだから、横手の方はちょっと料金を取られますが、数百円にすぎません。

 私は「高速道路」なんて立派なものでなくても「自動車専用バイパス道路」で良いと思っています。私はその意識でいます。最近では道路公団の民営化の関係で不採算区間はやりません、となったものですから、県が実質10%負担する「新直轄」方式が出来ました。秋田県では小坂から大館までがそうです。岩城~本荘間もそうです。本荘以南はみんな国土交通省直轄ですね。ですから、これから秋田県がつくる道路はみんな無料になると思います。

 考えてみてください。高速道路の料金が無料ならば横手市から秋田市への通勤だって可能になります。これはものすごい経済効果を生みますよ。秋田県は東京・神奈川・埼玉・千葉の首都圏4都県を合わせた広さより少しだけ狭いぐらいの広大な面積があるのです。そして鉄道もあまり無いですから、自動車の依存率は96%。全国平均は75%ぐらいですよ。圧倒的に自働車社会です。ですから私は過疎地と申しますか、秋田のような地方部では、地域の発展のために高速道路料金はできるだけ低減するか無料で開放した方が良いと思います。

 有料にしてもどれだけ稼げるというんですか、もちろん東京のように採算がとれる所は料金を採れば良いのです。少なくとも秋田で求められているのは「ハイウェイよりフリーウェイ」ということだと思いますし、道路規格は少々見栄えが悪くても「秋田スペック」で大丈夫だと思います。

《15に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は3月2日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 13

 6 農業~「食の三位一体」

 その他の課題としては、秋田県は農業に力を入れていかないといけません。今では「地産地消」はすっかり定着しました。「トレーサビリティ・システム」も畜産ではかなり普及しましたし、野菜も誰がどこで作ったキュウリなのか、分かるようになりました。これからは、更に「食の三位一体」として進めていくつもりです。

 秋田は食糧自給率150%なんです。これには自信をもっていい。でもこれまでの「コメだけ」では駄目ですね。畜産、果樹にももっと力を入れなければ。これも地域に合った農業が必要です。

 秋田の農産物は質は高いのですが、ロットが小さすぎて市場まで届かないのです。もっとマーケティング戦略、ブランド戦略などが必要です。リンゴだって青森より秋田の増田や平鹿の方が美味いのにね。

《14 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は2月23日に公開いたします。

秋田になぜ国際教養大学ができたのか~『秋田よ変われ』より~その4・下

寺田知事の「糸一本つないで」との願いは、自民党県議によって国際系大学設立の設置予算全額が削除され、開学の道は閉ざされた。
計画は消滅したかに見えたが、平成13年4月の2期目の知事選に出馬した寺田知事は対立候補に倍以上の大差をつけて圧勝。県民は県議会とは反対に寺田知事の国際系大学設置を信任した。
知事選からわずか8日後、県議会が激変。自民党会派が分裂し自民党は県議会の過半数を失った。文化人や県内の経済人から国際系大学開学の要望が広がり、寺田知事は国際系大学設置に向け再挑戦する。

その過程を、第3章 更なる挑戦と改革(187ページ~212ページ)を中心に、国際系大学設立に関する部分から紹介したい。前回に引き続き、長い引用で恐縮だがお付き合いいただきたい。


早期実現の請願書採択
 満を持して、寺田は6月定例県議会に議会の訪米調査費1,318万円と知事のミネソタ州立大学機構訪問事業予算622万円を追加提案した。先に新生会の同意を取り付けていたこともあって自民党も賛成して訪米調査費は可決。同委員会の県議7人が8月4日から12日までミネソタ州を訪問し、ミネソタ州立大学機構のメトロポリタン大学等を視察した。
 「高等教育に関する特別委員会」の北林康司委員長は12月7日開催の12月定例県議会本会議で「当委員会としては、県内子弟の未来に希望と展望が持てるような学びの場を確保したいとの思いは共通であり、その必要性は認める」と報告した。設置形態については意見の集約に至らなかったとして、県立大の学部、県立の単科大学、公設民営方式の3案を併記したが、事実上の国際系大学設置に向けたゴーサインだった。県内の経済人から前年の2月定例県議会に出されていた「国際系大学(学部)構想の早期実現」の請願が採択された。

創設準備予算可決
 寺田は年明けの平成14年1月7日に臨時県議会を召集した。知事説明に立った寺田は、万感の思いを込めて「このたびの臨時会においては、国際系大学の創設に関連する予算のご審議をお願いするものであります」と切り出し「経済社会のグローバル化が急速に進展、時代の先行きに不透明感をぬぐい切れない中にあって、秋田の未来を切り開いていくためには国際的視野を持った人づくりが急務との思いを強くした折、実践力を重視した教育方針のもとで、常に目的意識を持って勉学に打ち込むミネソタ州立大学秋田校の学生の真摯な姿に出会った」と構想の原点を述べた。続いて「ミネソタ州立大学機構など多くの方々の協力が見込める今が、本県の発展を図るまたとない機会であり、国際系大学の創設に全力を尽くす」と決意を述べ、大学の設置形態は「米国式教育システムや教員の任期制など大学の特色を最大限に活かし、独立行政法人への移行など、最も優先すべき課題に対応出来る単科大学としてスタートするのが現実的だ」と、単科大学での開校を明示した。
 補正予算案には平成16年4月の開学に向け、創設準備委員会の設置に関わる費用728万円を計上した。構想の壮大さに比べるとささやかだった。補正予算案は9日の本会議で記名投票によって採決が行われ、賛成25人、反対21人で可決された。反対は自民党と共産党だった。自民党は「少子高齢化により学生の確保が困難」と入り口に固執した。

国際系大学創設準備委員会が設立
 寺田は遂に念願の渡米を果たす。2月20日アメリカに渡り、ミネソタ州立大学機構のジェームズ・H・マコーミック総長との間で「国際教育の協力に関する覚書」に調印した。これをもとに、平成14年度当初予算案に、国際系大学の教員募集など大学設置を進めるための事業費8008万円を計上し2月定例県議会に提案した。自民党は議長を除く20人全員が採決時に退席する異例の手段をとって抵抗したが、賛成多数で原案通り可決した。平成11年9月から続いた国際系大学創設を巡る寺田と自民党との2年半に及ぶ戦いに決着がついた瞬間だった。
 寺田が最重要視していた国際系大学創設準備委員会の委員が決まり、議会が終了してわずか4日後の3月29日、東京平河町の都道府県会館で初会合が開かれた。委員長には1年前に国際系大学検討委員会の座長を務め、国際社会に通用する実践力重視の基本構想をまとめた中嶋嶺雄・アジア太平洋大学交流機構国際事務総長(前東京外語大学長)が就任した。副委員長はグレゴリー・クラーク・多摩大名誉学長が就任したほか、委員には、昨年の検討委員会で日本の大学の現状に危機感を持ち、改革意欲に溢れた熱い思いを語った明石康・元国連事務次長、野田一夫・前宮城大学長ら15人が就任した。寺田は「これまでの日本には無かった大学を文部省と闘ってでも創ってほしい」と要望した。

授業は全て英語、1年間の留学義務
 国際系大学創設準備委員会は集中的に会議を開催、平成15年4月まで8回の会合を重ね、大学設置認可申請に必要な重要事項を決定していった。中嶋委員長らがこだわったのは、いかにして「21世紀の国際社会で活躍出来る人材の育成」を図るかであり、そのための「日本には無い、グローバル・スタンダードの斬新な大学」の創設であった。しかし、実はこの道を阻んでいるのは大学自身であった。東京外語大学長として大学運営に関わった中嶋委員長は「宿痾とも言うべき様々な問題を痛感した」と自著に記している。中でも「①世界で活躍できる人材を育成できない②大学改革が遅々として進まない---の二つの問題は極めて深刻だった」(「なぜ、国際教養大学で人材は育つのか」中嶋嶺雄、詳伝社黄金文庫)。
 その経験から、新設する国際系大学では「世界に伍してグローバル化社会を生きていくには、役立たずの旧態依然の文法至上主義の英語から脱却し、英語教育の発想と方法を根本から変えていく」ことを第一に置いた。もう一つは平成3年の大学設置基準の大綱化によって、空洞化してしまった教養教育の再生であった。文部省の方針に反し、新大学では幅広い教養教育を徹底して行うことを重点に掲げた。この結果、新設の国際系大学では、授業は全て英語、1年間の留学義務など、日本の大学には無い独自の教育プログラムが出来上がった。
 人事を含めた大学運営も新機軸が打ち出された。国公立大学の改革を阻む最大の要因は教育公務員特例法(教特法)に守られた教授会自治と言われてきた。教授会を取り巻く様々な既得権が改革の前に立ち塞がった。教員の採用、承認は教授会の専決事項であり、学長といえども手を出せなかった。教員の身分は定年まで保証されるが、外国人は学長はもちろん、副学長、学部長にはなれなかった。

地方独立行政法人法が公布
 ところが世の中は何が幸いするか分からない。県議会自民党会派の反対で開学が1年延びたお蔭で、教特法とは無縁の大学が実現出来る地方独立行政法人法が国会のタイムテーブルに乗り、平成15年7月に公布され、開学予定日の同16年4月1日には施行される見通しとなった。「戦後一番の悪法」(前掲書)と中嶋委員長が指弾した教特法の呪縛から解放される公立大学法人化によって、全く新たな大学運営の道が開けることになる。まさに絶妙のタイミングだった。大学の自主・自立の確保を目指していた創設委員会はもちろん公立大学法人化を選んだ。
 日本の国公立大学の教職員は終身雇用制だが、国際系大学は3年任期の年俸制とした。大学の組織運営は学長が理事長を兼務することにより強力なリーダーシップを発揮する。大学全体の運営方針は経営会議に一任、教学の方針は教育研究会議で決定することで、日本流の教授会自治から脱却、世界標準の大学運営が実現した。

学長に中嶋嶺雄、大学名は国際教養大学
 寺田は平成14年9月24日の記者会見で、20日に秋田県東京事務所で中嶋委員長に学長就任を正式に要請したことを明かし「中嶋委員長は、これまでの日本には無い全国から注目されるユニークな大学を創りたいと、強い意欲を示されまして、就任して頂くことになりました」と発表した。
 学長予定者に決まった中嶋委員長は大学名称問題を振り出しに戻した。一度は「東アジア大学」に傾きかけたが「オーストラリアで開かれたアジア太平洋大学交流機構の会議に出席した際、外国人の意見を聴いて回ったところ『中国って感じだね』の声に、リストから消し、開学の理念を込めた『国際教養大学』とし、英語名は発音上も美しいAkitaを用いて、秋田県から世界に発信するうえでもっともわかりやすい名称に決めた」(前掲書)と、中嶋委員長は明かしている。英語名をAkita International University(略称AIU)とした国際教養大学の名称は、創設準備委員会の同意を得た後、11月4日、県が正式に発表した。

自民退席の中、設置推進事業費可決
 国際教養大学の本格的な設置推進事業費15億2,448万円が3月7日の2月定例県議会で可決された。自民党は昨年9月から連続4回、全額削除の減額修正案を提出して抵抗したが、あえなく否決され、本会議では退席した。
 文部科学省への大学設置認可申請に残された課題は専任教員の採用だった。任期制の枠が掛かっていたが、世界的に知られている学会の機関紙などを通じ、世界から公募したところ、400人を超す応募があった。

予想以上の志願者と入学式
 11月27日、文部科学省から国際教養大学の設置が正式に認可された。一抹の不安を抱えていた学生募集も、蓋を開けてみると予想を上回る高い競争率となった。東京の一流大学の合格を捨てて入学するなど、入学辞退者が予想以上に少なく、定員100名に対し暫定入学者14名を含めた148名が入学することになった。
 4月1日、地方独立行政法人法が施行され、国際教養大学は公立大学法人の第1号となり、中嶋委員長が寺田から理事長の辞令を受けた。法律により「理事長が学長を務める」と規定されており、晴れて中嶋学長が誕生した。
 8日、同大から歩いて5分の迎賓館、プラザクリプトンで入学式が行われた。秋田県内の合格者は25名だった。中嶋学長の式辞は英語で行われ、開学の理念を語った後、新渡戸稲造の「武士道」を在学中の必読書として推薦した。新入生代表も流暢な英語で喜びと決意を語るなど、異色の景色となった。
 寺田は、大学のインフラ整備は「出発点は辛抱しよう。実績によって積み重ねていこうと施設から何から含めて11億円ぐらいで出発したから、足りない部分はある。キャンパスは狭いが質素に出発するのも悪いことではないと思う」と語り、将来は「1,000人ぐらいになる。今の施設では400~500人のキャパシティ。土地はあるから追々でいいでしょう。成長するということは物凄く良いこと」と夢を膨らませた。保護者が危惧した4年後の就職については「実績を重ね、留学まで義務づけられた能力ある人間は、確実に就職は出来る。大企業から含め相当数関心を持っている。私は懸念していない」と断言している。6年の歳月を掛け、国際教養大学はようやく船出した。その先には想定を超えた高い評価が待っていた。

秋田杉を使ったコロシアム風の図書館完成
 寺田は平成18年2月の定例県議会に「志願者のレベルも上がっている。大学が更に飛躍を遂げていくため、必要な施設整備については、学生からの要望の強い学生寮、研究や勉学に不可欠な図書館は先行して着手する」と表明。学生宿舎と図書館の基本設計・実施設計費6,400万円を18年度当初予算案に計上した。施設整備事業は53億円から42億円に縮減した。
 鉄筋コンクリート5階建の計画だった学生寮と講義・研究棟は木造建築に、同4階建の図書館は木造・鉄筋コンクリート2階建に変更した。事業費は学生宿舎が12億円から8億円に、講義・研究棟が11億円から7億円に、図書館が13億円から11億円に減少した。
 木造化は大成功だった。図書館は平成20年3月に完成した。環境デザインの第一人者である仙田満・東京工業大学名誉教授らの設計による6本の秋田杉の無垢材が傘を広げたような半円のコロシアム風のデザインで、天井の梁には秋田杉がふんだんに使われ、半径22mの傘の下には書籍棚と読書机が階段状につながっている。


国際教養大学は平成20年3月、初の卒業生を送り出した。卒業したのは一期生150人のうち64人だけ、「力をつけた学生だけを卒業させる」という中嶋学長の厳しい教育方針が貫かれた結果だった。しかし残りの学生が落ちこぼれたわけではない。留学先の大学は9月入学とあって、3月卒の日本とのズレが就職試験の機会を奪うことになり、就活のための留年も多かった。就職先は日本の名だたる企業で就職率は100%。開学早々にして「就職に強い大学」の上位にのぼった。
開学にあたり中嶋学長自ら、県内の高校はもちろん首都圏の予備校まで学生募集に出向いて呼びかけただけあって、全国的な注目を集め、開学2年目には東大並みの難関校にランクされた。
海外からの留学生との同室の寮生活、徹底した英語力強化、留学の義務化など、日本で初めてのことだらけの大学とあって優秀な学生が集まった。学内の図書館などは24時間解放され、学習環境に不自由することはなかった。国際教養大は、寺田知事が立ち上げ、中嶋学長が魂をつぎ込んだ、グローバル時代の先駆けであった。

中嶋学長は平成25年2月、現職のままご逝去された。大学葬での寺田氏の弔辞(←クリックするとご覧になれます ※別ウィンドウが開きます)は二人の強い絆を偲ばせるものだった

 

※次回は2月28日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 12

 5 タテ割りを超えて

 全国に先駆けて県庁に「幼保推進課」を設置しました。幼稚園児にも保育が必要な場合があるし、保育所の幼児にも教育が必要です。しかし、国の制度が幼稚園は文部科学省、保育所は厚生労働省と分かれているものですから、一緒にやろうとすると大変面倒な手続きに悩まされることになります。これも実は地方分権が必要な分野なのです。各市町村長にとって、そして幼児のお母さん方とっては幼稚園と保育所の区別は必要がありません。単に国の役所の管轄が分かれていて、それぞれに有力な国会議員が応援団でくっついているから、なかなか一緒にならないのです。 このように、国にとっても、県にとっても、効率化を進めるうえで「タテ割り」は大変な障害になっています。国がタテ割りを止めることで、地方もみんなタテ割りを解消することが出来ます。長い年月を経て、そういうシステムになってしまっているのです。国がタテ割りを止めないのなら、地方が自立して解消するしかありません。

 また、秋田県ではこれも全国に先駆けて少人数学習、30人「程度」学級を導入しています。これは「30人学級」ではないのですね。「30人程度学級」なんです。どうして「程度」が入ると思いますか? 実は文部科学省の基準では「1クラス40人」なんです。「30人学級」は認めていなかったのです。だから、県ではそれを通すために「30人『程度』学級」としたのです。これなら文部科学省も文句は言えないだろうと。国は1クラス30人にして余分に先生を付けても予算を加配できなかったのです。県ではチームティーチングといって、1クラスに複数の先生を付けて指導する手法を、国の計画を前倒しして導入しましたが、あれは全て県の予算でやっています。10数億円でしたか。臨時署員を含めて4~500人ぐらい増やしたと思います。その結果、秋田県の教育の現況としては、国の基準に対する教職員の割合は全国5位の充実度です。児童・生徒1人あたりの教育費は小学校では全国6位、中学校では全国12位です。ちなみに不登校児童生徒数も少ない方から6番目です。それから、これからは英語や数学は複数の先生が付いてきめ細かく指導しないといけないとか、総合学習の時間は外部から一流の人を招いて授業をするなど新しい時代に合った教育が必要だということを付け加えておきます。

《13 に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は2月16日に公開いたします。

講演録「形あるものは必ず壊れる」 11

 教育~人材づくりこそこれからの行政課題

 一番重要なのは教育だと申し上げました。教育水準を上げることを目的に「あきた教育新時代創生プログラム」を作って検討を進めていますが、学校統合なども含まれていて随分もめています。秋田県には小中学校が約450校あります。小学校は約300校です。そのうち、どこかの学年に単学級しかない小学校が約70%だそうです。例えば100校を統廃合して削減すれば、100人の校長、教頭を削減できます。それ以外にも教職員は小さな学校でも1校10人近くいるわけです。これが100校減れば1000人削減になりますね。ただし、学校の統廃合は「教育力を落とさないこと」。それが条件です。

 増田町の4つの小学校をひとつに統合したら、子ども達の目の色が変わってきたと聞きます。子ども達が元気になってきたと。新しい友達が出来たと。新しくて面白い先生が来たというのです。大変な活性化につながったといいます。私の考える理想を言えば、小学校の場合、1学年で最低2クラスは必要だと思うのです。そうなればクラスで対抗することも出来ます。クラブ活動の種類も増えます。それが強くて魅力のある学校だと思います。これが小中学校の統廃合のひとつの理由です。その一方で、通学については市町村ごとに考えて工夫が必要です。例えば、アメリカでは40km四方の地域をスクールバスが走り回っているとも聞きます。日本でも10km四方ぐらいならバスで対応できるのではないでしょうか。

 それから、これからは単に教育水準を上げるだけでなく、個性豊かな子どもを育てる必要があるのですから、生徒が多種多様な先生に出会える環境を整えるべきです。これによりその子どもに合った教育をおこなう可能性が広がります。その意味でも、あまり小さな学校ではなく、ある程度は規模のある学校を子ども達に提供してあげるべきです。

 県南の矢島町は教育熱心な土地柄で有名ですが、やはりここも高校の存続が難しくなってきた地域です。しかし、ここでは小中一貫校といいますか、小中一貫校に高校を併設するような形での生き残りを図っています。私はそれでも良いと思います。矢島の辺りにも高校がひとつぐらいは必要でしょう。私はどこでもなんでも統廃合すべきとは思ってはいないのです。残すべきところには残す。しかし生き残るためには地域で知恵を絞る必要があります。

 上小阿仁村は合併せずに自立を選択しましたが、人口3000人ぐらいで赤ちゃんが年6~7人くらいしか生まれなくなっています。これでは小学校さえやっていけません。自立するとしても小学校はとなりの市町村に委ねて通わせるなどの工夫が必要になってきます。少子化が進めば小さな町村では小学校は持てない、そういう社会になってくるでしょう。

 そういうことを見越せば、PTAや同窓会の方々が「子どもにとって何が幸せか」ということをもっと考えなければならないと思います。学校の統廃合案を出したところ、ものすごい反対が出てきています。もちろん同窓会が「母校の統廃合反対」と叫ぶことは理解できます。当然の反応だと思います。住民が「地域にとってなじみのある学校が少しでも長く存続して欲しい」と考えるのも良く分かります。

 しかし、学校の主役は子どもです。子ども達にとって良いものを提供できる。パワーのある学校でなければなりません。ずっと時間が経って、もうパワーのかけらもない、誰からも相手にされなくなった学校を統廃合するのは悲劇です。まだどの学校もパワーがあるうちに、力のある学校をいかに作るか、計画を立てておかなければなりません。こういう話をすれば、同窓会の人はともかくとして、子どものお母さん方はウンウンと頷いてくれます。先日、能代市が地域の5つの高校を3つに統合する意思決定をしました。だんだん分かっていただいていると実感しています。

 だって現在、小学校に入学するのが年間1万人だとすれば、7~8年後には8千人台になるのです。最近の秋田県の出生数は8600人ぐらいのはずですから。そういう時代なのです。時代に合わせていかなければなりません。

 最近、横手市に中高一貫校が出来ました。その一方で、伝統のある横手工業高校は閉校となりました。私も横手に家がありますからよく分っていますが、あれだけ駅前の便利の良い場所に建っており人気もあった横手工業ですが、最近は定員割れ。やはり時代に合わないカリキュラムだったのでしょう。このままこれを引きずっていってはこの学校が全く駄目になってしまうと判断して、中高一貫校の横手清陵学院という全く新しい学校にしてしまいました。

 新しい時代の中で「形あるものは壊れていく」ことは避けられないのです。湯沢でも高校の統廃合で大騒ぎです。文句が出ることは良いことです。そういう議論の中で、聖域なき改革といいますか、教育も警察も含めて改革が進んでいくのだと思います。どちらも「教育力」「警察力」を上げるためには必要な改革です。

《11に続く》


※名称・敬称等は当時(平成16年11月)のままです。
※次回は2月9日に公開いたします。

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