秋田よ、変われ。 寺田すけしろ

秋田よ変われ

  • 秋田になぜ国際教養大学ができたのか~『秋田よ変われ』より~その4・下

    2017.2.14

    寺田知事の「糸一本つないで」との願いは、自民党県議によって国際系大学設立の設置予算全額が削除され、開学の道は閉ざされた。
    計画は消滅したかに見えたが、平成13年4月の2期目の知事選に出馬した寺田知事は対立候補に倍以上の大差をつけて圧勝。県民は県議会とは反対に寺田知事の国際系大学設置を信任した。
    知事選からわずか8日後、県議会が激変。自民党会派が分裂し自民党は県議会の過半数を失った。文化人や県内の経済人から国際系大学開学の要望が広がり、寺田知事は国際系大学設置に向け再挑戦する。

    その過程を、第3章 更なる挑戦と改革(187ページ~212ページ)を中心に、国際系大学設立に関する部分から紹介したい。前回に引き続き、長い引用で恐縮だがお付き合いいただきたい。


    早期実現の請願書採択
     満を持して、寺田は6月定例県議会に議会の訪米調査費1,318万円と知事のミネソタ州立大学機構訪問事業予算622万円を追加提案した。先に新生会の同意を取り付けていたこともあって自民党も賛成して訪米調査費は可決。同委員会の県議7人が8月4日から12日までミネソタ州を訪問し、ミネソタ州立大学機構のメトロポリタン大学等を視察した。
     「高等教育に関する特別委員会」の北林康司委員長は12月7日開催の12月定例県議会本会議で「当委員会としては、県内子弟の未来に希望と展望が持てるような学びの場を確保したいとの思いは共通であり、その必要性は認める」と報告した。設置形態については意見の集約に至らなかったとして、県立大の学部、県立の単科大学、公設民営方式の3案を併記したが、事実上の国際系大学設置に向けたゴーサインだった。県内の経済人から前年の2月定例県議会に出されていた「国際系大学(学部)構想の早期実現」の請願が採択された。

    創設準備予算可決
     寺田は年明けの平成14年1月7日に臨時県議会を召集した。知事説明に立った寺田は、万感の思いを込めて「このたびの臨時会においては、国際系大学の創設に関連する予算のご審議をお願いするものであります」と切り出し「経済社会のグローバル化が急速に進展、時代の先行きに不透明感をぬぐい切れない中にあって、秋田の未来を切り開いていくためには国際的視野を持った人づくりが急務との思いを強くした折、実践力を重視した教育方針のもとで、常に目的意識を持って勉学に打ち込むミネソタ州立大学秋田校の学生の真摯な姿に出会った」と構想の原点を述べた。続いて「ミネソタ州立大学機構など多くの方々の協力が見込める今が、本県の発展を図るまたとない機会であり、国際系大学の創設に全力を尽くす」と決意を述べ、大学の設置形態は「米国式教育システムや教員の任期制など大学の特色を最大限に活かし、独立行政法人への移行など、最も優先すべき課題に対応出来る単科大学としてスタートするのが現実的だ」と、単科大学での開校を明示した。
     補正予算案には平成16年4月の開学に向け、創設準備委員会の設置に関わる費用728万円を計上した。構想の壮大さに比べるとささやかだった。補正予算案は9日の本会議で記名投票によって採決が行われ、賛成25人、反対21人で可決された。反対は自民党と共産党だった。自民党は「少子高齢化により学生の確保が困難」と入り口に固執した。

    国際系大学創設準備委員会が設立
     寺田は遂に念願の渡米を果たす。2月20日アメリカに渡り、ミネソタ州立大学機構のジェームズ・H・マコーミック総長との間で「国際教育の協力に関する覚書」に調印した。これをもとに、平成14年度当初予算案に、国際系大学の教員募集など大学設置を進めるための事業費8008万円を計上し2月定例県議会に提案した。自民党は議長を除く20人全員が採決時に退席する異例の手段をとって抵抗したが、賛成多数で原案通り可決した。平成11年9月から続いた国際系大学創設を巡る寺田と自民党との2年半に及ぶ戦いに決着がついた瞬間だった。
     寺田が最重要視していた国際系大学創設準備委員会の委員が決まり、議会が終了してわずか4日後の3月29日、東京平河町の都道府県会館で初会合が開かれた。委員長には1年前に国際系大学検討委員会の座長を務め、国際社会に通用する実践力重視の基本構想をまとめた中嶋嶺雄・アジア太平洋大学交流機構国際事務総長(前東京外語大学長)が就任した。副委員長はグレゴリー・クラーク・多摩大名誉学長が就任したほか、委員には、昨年の検討委員会で日本の大学の現状に危機感を持ち、改革意欲に溢れた熱い思いを語った明石康・元国連事務次長、野田一夫・前宮城大学長ら15人が就任した。寺田は「これまでの日本には無かった大学を文部省と闘ってでも創ってほしい」と要望した。

    授業は全て英語、1年間の留学義務
     国際系大学創設準備委員会は集中的に会議を開催、平成15年4月まで8回の会合を重ね、大学設置認可申請に必要な重要事項を決定していった。中嶋委員長らがこだわったのは、いかにして「21世紀の国際社会で活躍出来る人材の育成」を図るかであり、そのための「日本には無い、グローバル・スタンダードの斬新な大学」の創設であった。しかし、実はこの道を阻んでいるのは大学自身であった。東京外語大学長として大学運営に関わった中嶋委員長は「宿痾とも言うべき様々な問題を痛感した」と自著に記している。中でも「①世界で活躍できる人材を育成できない②大学改革が遅々として進まない---の二つの問題は極めて深刻だった」(「なぜ、国際教養大学で人材は育つのか」中嶋嶺雄、詳伝社黄金文庫)。
     その経験から、新設する国際系大学では「世界に伍してグローバル化社会を生きていくには、役立たずの旧態依然の文法至上主義の英語から脱却し、英語教育の発想と方法を根本から変えていく」ことを第一に置いた。もう一つは平成3年の大学設置基準の大綱化によって、空洞化してしまった教養教育の再生であった。文部省の方針に反し、新大学では幅広い教養教育を徹底して行うことを重点に掲げた。この結果、新設の国際系大学では、授業は全て英語、1年間の留学義務など、日本の大学には無い独自の教育プログラムが出来上がった。
     人事を含めた大学運営も新機軸が打ち出された。国公立大学の改革を阻む最大の要因は教育公務員特例法(教特法)に守られた教授会自治と言われてきた。教授会を取り巻く様々な既得権が改革の前に立ち塞がった。教員の採用、承認は教授会の専決事項であり、学長といえども手を出せなかった。教員の身分は定年まで保証されるが、外国人は学長はもちろん、副学長、学部長にはなれなかった。

    地方独立行政法人法が公布
     ところが世の中は何が幸いするか分からない。県議会自民党会派の反対で開学が1年延びたお蔭で、教特法とは無縁の大学が実現出来る地方独立行政法人法が国会のタイムテーブルに乗り、平成15年7月に公布され、開学予定日の同16年4月1日には施行される見通しとなった。「戦後一番の悪法」(前掲書)と中嶋委員長が指弾した教特法の呪縛から解放される公立大学法人化によって、全く新たな大学運営の道が開けることになる。まさに絶妙のタイミングだった。大学の自主・自立の確保を目指していた創設委員会はもちろん公立大学法人化を選んだ。
     日本の国公立大学の教職員は終身雇用制だが、国際系大学は3年任期の年俸制とした。大学の組織運営は学長が理事長を兼務することにより強力なリーダーシップを発揮する。大学全体の運営方針は経営会議に一任、教学の方針は教育研究会議で決定することで、日本流の教授会自治から脱却、世界標準の大学運営が実現した。

    学長に中嶋嶺雄、大学名は国際教養大学
     寺田は平成14年9月24日の記者会見で、20日に秋田県東京事務所で中嶋委員長に学長就任を正式に要請したことを明かし「中嶋委員長は、これまでの日本には無い全国から注目されるユニークな大学を創りたいと、強い意欲を示されまして、就任して頂くことになりました」と発表した。
     学長予定者に決まった中嶋委員長は大学名称問題を振り出しに戻した。一度は「東アジア大学」に傾きかけたが「オーストラリアで開かれたアジア太平洋大学交流機構の会議に出席した際、外国人の意見を聴いて回ったところ『中国って感じだね』の声に、リストから消し、開学の理念を込めた『国際教養大学』とし、英語名は発音上も美しいAkitaを用いて、秋田県から世界に発信するうえでもっともわかりやすい名称に決めた」(前掲書)と、中嶋委員長は明かしている。英語名をAkita International University(略称AIU)とした国際教養大学の名称は、創設準備委員会の同意を得た後、11月4日、県が正式に発表した。

    自民退席の中、設置推進事業費可決
     国際教養大学の本格的な設置推進事業費15億2,448万円が3月7日の2月定例県議会で可決された。自民党は昨年9月から連続4回、全額削除の減額修正案を提出して抵抗したが、あえなく否決され、本会議では退席した。
     文部科学省への大学設置認可申請に残された課題は専任教員の採用だった。任期制の枠が掛かっていたが、世界的に知られている学会の機関紙などを通じ、世界から公募したところ、400人を超す応募があった。

    予想以上の志願者と入学式
     11月27日、文部科学省から国際教養大学の設置が正式に認可された。一抹の不安を抱えていた学生募集も、蓋を開けてみると予想を上回る高い競争率となった。東京の一流大学の合格を捨てて入学するなど、入学辞退者が予想以上に少なく、定員100名に対し暫定入学者14名を含めた148名が入学することになった。
     4月1日、地方独立行政法人法が施行され、国際教養大学は公立大学法人の第1号となり、中嶋委員長が寺田から理事長の辞令を受けた。法律により「理事長が学長を務める」と規定されており、晴れて中嶋学長が誕生した。
     8日、同大から歩いて5分の迎賓館、プラザクリプトンで入学式が行われた。秋田県内の合格者は25名だった。中嶋学長の式辞は英語で行われ、開学の理念を語った後、新渡戸稲造の「武士道」を在学中の必読書として推薦した。新入生代表も流暢な英語で喜びと決意を語るなど、異色の景色となった。
     寺田は、大学のインフラ整備は「出発点は辛抱しよう。実績によって積み重ねていこうと施設から何から含めて11億円ぐらいで出発したから、足りない部分はある。キャンパスは狭いが質素に出発するのも悪いことではないと思う」と語り、将来は「1,000人ぐらいになる。今の施設では400~500人のキャパシティ。土地はあるから追々でいいでしょう。成長するということは物凄く良いこと」と夢を膨らませた。保護者が危惧した4年後の就職については「実績を重ね、留学まで義務づけられた能力ある人間は、確実に就職は出来る。大企業から含め相当数関心を持っている。私は懸念していない」と断言している。6年の歳月を掛け、国際教養大学はようやく船出した。その先には想定を超えた高い評価が待っていた。

    秋田杉を使ったコロシアム風の図書館完成
     寺田は平成18年2月の定例県議会に「志願者のレベルも上がっている。大学が更に飛躍を遂げていくため、必要な施設整備については、学生からの要望の強い学生寮、研究や勉学に不可欠な図書館は先行して着手する」と表明。学生宿舎と図書館の基本設計・実施設計費6,400万円を18年度当初予算案に計上した。施設整備事業は53億円から42億円に縮減した。
     鉄筋コンクリート5階建の計画だった学生寮と講義・研究棟は木造建築に、同4階建の図書館は木造・鉄筋コンクリート2階建に変更した。事業費は学生宿舎が12億円から8億円に、講義・研究棟が11億円から7億円に、図書館が13億円から11億円に減少した。
     木造化は大成功だった。図書館は平成20年3月に完成した。環境デザインの第一人者である仙田満・東京工業大学名誉教授らの設計による6本の秋田杉の無垢材が傘を広げたような半円のコロシアム風のデザインで、天井の梁には秋田杉がふんだんに使われ、半径22mの傘の下には書籍棚と読書机が階段状につながっている。


    国際教養大学は平成20年3月、初の卒業生を送り出した。卒業したのは一期生150人のうち64人だけ、「力をつけた学生だけを卒業させる」という中嶋学長の厳しい教育方針が貫かれた結果だった。しかし残りの学生が落ちこぼれたわけではない。留学先の大学は9月入学とあって、3月卒の日本とのズレが就職試験の機会を奪うことになり、就活のための留年も多かった。就職先は日本の名だたる企業で就職率は100%。開学早々にして「就職に強い大学」の上位にのぼった。
    開学にあたり中嶋学長自ら、県内の高校はもちろん首都圏の予備校まで学生募集に出向いて呼びかけただけあって、全国的な注目を集め、開学2年目には東大並みの難関校にランクされた。
    海外からの留学生との同室の寮生活、徹底した英語力強化、留学の義務化など、日本で初めてのことだらけの大学とあって優秀な学生が集まった。学内の図書館などは24時間解放され、学習環境に不自由することはなかった。国際教養大は、寺田知事が立ち上げ、中嶋学長が魂をつぎ込んだ、グローバル時代の先駆けであった。

    中嶋学長は平成25年2月、現職のままご逝去された。大学葬での寺田氏の弔辞(←クリックするとご覧になれます ※別ウィンドウが開きます)は二人の強い絆を偲ばせるものだった

     

    ※次回は2月28日に公開いたします。

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